生島尚美さんエッセイ / バリ一代ドタバタ記 (生々流転vol.2より転載)

第1回「バリへの目覚め」


新興宗教のような第一回目のタイトルに自分自身ハッとします。


 一歩間違えれば出会っていなかったかもしれない「バリ島」。同時にどんな道を辿っても必ず辿り着いたかもしれない「バリ島」。 そう考えると、現在43歳の私にとって「バリ島」自身もこれから辿り着く先への過程なのかもしれない、とも。 


 さてさて、皆さん初めまして! チカランには暮らしていないながらもご縁を頂きチカラン日本人会メルマガ「生々流転」でコラムを書かせて事になりました生島尚美と申します。 では、一体私はどこに居るのか、と言えば多くの皆さんがご存知で、行った事もあるかもしれないジャワ島の東となりのバリ島、その中の片田舎(観光地ではありますが)ウブドです。  


ウブドはジャワに仕事でやって来れば、ジャカルタよりも、バンドゥンよりも、スラバヤよりも実はこの地「チカラン」に一番親近感を感じるような場所です。 自宅の裏は田んぼが広がり、夜はうるさい程の虫の声、カエルの声で眠り、朝は時期によってはアヒル達の声で目覚めます。


 そんなウブドに初めて私がやって来たのは22年前。初めてバリの地にやって来たのは更にその1年前で、2人の看護士の姉に強引に誘われての事でした。 「え?バリ島?良いね!へー、そこってインドネシアなの」というような知識しか無いハタチの私がその4年後に単身でほぼ手ぶら状態で引越す事になるとは一体誰が想像するでしょう?? 


皆が行うリクルートスーツでの就職活動に全く興味も無く、アルバイトからそのままなんとなーく正社員になれば良いや、と思っていた大学3-4年生の当時の私、 「海外で英語を使って仕事をするなんて格好いい〜」と本当に気軽に単純に、バリ島への移住を最初の滞在で思いました。姉達との1度目のその滞在はクタ&レギャンという安いツアーで 滞在する空港から近場の猥雑な街。2度目に初めてウブドを訪れ、その「具合の良い田舎」っぷりにハートを完全に撃ち抜かれてしまいました。


 学生ながらもアルバイトはいつも2つは掛け持ち、寝る時間を惜しんで、学校に行く時間を惜しんで飲食店でのアルバイト(将来は飲食店をするつもりでいました)、大阪ミナミでの夜遊びをひたすら続けていた私が何故ウブドに惹かれたのでしょうか。 


いつもよく聞かれます「何故ウブドなのですか?」と。「恋に落ちるのに理由は要らないんですよ」と関西人らしからぬロマンティックな答えをするようにしたのはここ数年。 


当時まだ私は21-22歳、学生だったのもありお休みの度に2-3週間のウブド滞在を本当に楽しんでいました。来る度にウブドに暮らしてみたい、という想いは募るばかり。  


とは言え「住んでみたい」と「住む」の間には「経営者」と「従業員」の間と同じく深い、険しい川が流れているのです。 


「とは言っても そんなに簡単に海外に引越す訳には行かんよね」とちゃっかり自分で諦めていた私が どうして恋い焦がれ、手が震える程にバリをウブドを想い、転がり込むようにバリ島へ引越したのか。


 そして引越したは良いが(実際引越すの「思い切り」があればは誰でも出来る。)気付けば17年もバッグのお店を続ける事になったのか。わたし自身も振り返ってみたかったドタバタ半生記(半生というには短い) をシリーズでこちらで書かせて頂こうと思っています。

皆様、どうぞお付き合い下さい!<つづく>

チカラン日本人会 (CJC)

西ジャワ州ブカシ県チカランやカラワンに住む日本人の集い「チカラン日本人会」は2015年11月に発足。地域のさまざまな情報を交換し、問題を共有、解決を図る組織を目指していきます。

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