生島尚美さんエッセイ / バリ一代ドタバタ記 (生々流転vol.10より転載)

第5回「空回らずしてどうする (2)」

▲2003年発刊の単行本「好きになっちゃったバリ」の記事より。文章に悪意あり?


 こうして長く住んでいると、バリ島ウブドには毎年毎年私が知っているだけでも数組の日本人が移住を目指してやってこられます。「移住」の定義とは? 以前は「ここでお金を稼ぎここで暮らしていっている人」と思っていましたが、近年 インドネシア外でお金を稼ぎ暮らしている人も増えて来たので、ひと言にはそう言えないのかもしれません。


  その中でビジネスを始める人も少なくありません。そんな方々と話する時に「どうやったら稼いでいけるか」「どうやったらお客さんがつくか」と聞かれることが多くありますが、そんな方々に私は言いたい、声を大にして!  


「ビジネスを始める前にまず大きな第一波がやって来る。それで心折れて帰ってしまう人も多いので頑張って!」と。


 2000年に勢いとタイミングの良さだけで借りてしまった「空き地」に、熱い想いと焦りだけで作り出した”sisi”第一号店、いきなりぶつかり大家さんとのトラブルの予感。  予感は的中! そして今のように海千山千(?)の私も当時は日本から来てアドバイスを求める相手も一緒に困ってくれる日本人の友も先輩もいない20代の女子。今のようにインターネット上で知らない誰かに聞くこともできない環境(インターネットはダイアルアップ、自分のパソコンもなければメールアドレスすら持っていなかった私)。


 あの時「土地を貸した相手の建物にそこまで細かく指図するなんてあり得ない! 黙ってて」とハッキリ正面から大家さん家族に言ってしまった私はなんて愚かだったのでしょう。何度も我慢していたというのと、どんどんなくなっていくお金を前に理性もふっ飛んだ訳です。


 そう、ガイドブックには書いていた。バリを題材としたエッセイ本にも書いていた。  日本人の価値観で物事を見てはならない。バリ人はプライドが高く繊細なので人前で怒ってはいけない、腰に手をやって威圧的に話してはいけない、と。 

 バリに何度も通って中途半端な情報と経験で、本人は「知った気」になってる「バリ好き」。まさにそんな私がはまってしまう「ジレンマ」。

 まだお店が開いてもない、始まってもないのに...一体どうなってるんだ?  なにかあなたに迷惑かけたの? と自問自答だけで終われない私。

 こんな「始まる前」の大きな第一波、この試練こそがバリに暮らすために越えていかなくてはいけない本質的なことなのでしょう。

 大好きなバリとの距離、バリにおいての自分の立ち位置を最初にハッキリさせるところなのかもしれません。


 その後から大家一族の態度が突然変わり、非協力なことこの上なくなりました。それはお店が開いてから更にエスカレート。当初使っていいよ、と言われ作っていなかったトイレは使えなくなり、無視はもちろんのこと、最終的には電線まで切られました。

 そこまで嫌われるほどなにをしたのだ? と思いますが、今になって考えると、最初の「細々言わないで!」とはっきり言ってしまったことと「彼らが私に土地を安く貸し過ぎた」ことに対する怒りだったのでしょう。また、開店後、sisiにまったくお客さまが来ていなかったら「バーカ、バーカ」ということで収まった怒りだったのかもしれません。まさに子どもの逆切れとしか考えられませんが、それが現実。


 しかし、書いておきたいことが2つ。


1.バリ人皆がこうでは決してない 

2.この強烈な経験のお陰で私のバリ島での生き方が分かった、決まった 


 こんな関係もあり、当時住んでいたお店のすぐ裏の部屋を出たわけですが、その時には大家さん家族、誰も引っ越しの手伝いも見送りもなく、引っ越しを手伝ってくれた職人さんたちも「同じバリ人として恥ずかしい。あり得ない!」と驚いていたのを今も覚えています。


  そしていよいよ営業開始!  職人さんたちを焦りに焦らせ、無理矢理4月の末にオープンした”sisi”の記念すべき第一号店の行方やいかに! 

 

<つづく>





チカラン日本人会 (CJC)

西ジャワ州ブカシ県チカランやカラワンに住む日本人の集い「チカラン日本人会」は2015年11月に発足。地域のさまざまな情報を交換し、問題を共有、解決を図る組織を目指していきます。

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