第1回 人生はつづく、苦難もつづくけど、 まだまだ行くで!バリバリのど根性!
え、終わったんじゃなかったの?
しばらく日本に帰っておられた方などは、一度終わったことにも気付かないほどかもしれません??
お別れのあいさつまでしておきながら...わずか3カ月で復活! のバリ島sisi生島尚美です。
皆さんも ご存知、バリ島最高峰の活火山アグン山が「噴火するの?」と心配され出したのは今年9月の半ば。
「全然噴火しない、こりゃ『噴火噴火詐欺』なんじゃないの?」なんて呑気に皆で笑ってたころがすでに懐かしい。
ついに11月末にそれなりの規模の噴火が起こり、その時 タイミング悪くやってきてたジャワのサイクロンに引っ張られた風による火山灰の影響で『空港閉鎖』。そこからの混乱、そして波が引いていくかのようなツーリストの減少は見事なまででした。
私はちょうどスラバヤ出張を終え、2週間後のジャカルタ&チカラン出張を控えている時でした。バリ島に足止めされたお客さまや知人のお手伝いをしている間は「大変だ〜〜〜」と頑張れていたのですが、やっと落ち着きふと周りを見回し、がく然。
ウブドから臨むアグン山
思い出したのは2002年のテロの時のこと。
テロの起こったクタとウブドはこんなに離れているのに、日本からはもちろんいろいろな国に住む友人知人、お客さまから心配する声が。今となっては別の島のテロや火山の噴火でも日本から「心配」のメッセージが送られて来る。
ありがたい。そして同時に「ウブドはこんなにいつも通りで大丈夫なのに」という歯がゆい思い。私も友人たちが住む国で何か起これば心配でメッセージを送ることもあるのに。
私のこの思いはやはり、その2002年のテロ以降も度々起こったバリ島の苦悩、受難の数々。もう一度起こったテロ、鳥インフルエンザ、SARS… しかし、ここまで「先が読めない」火山の影響は初めてかも知れません。 噴火によるマグマや火砕流の被害はバリ島にあるいくつかの観光地にはおよばないとしても、「空港」が閉鎖されてしまえば観光地としてはほぼアウト。
世界規模、宇宙規模で見ればもちろん自然現象だし、アグン山がしゃべれたら「そんなん言われても〜。50年以上我慢してたんだしね」ということでしょう。実際、火山の半径9キロほどの人たちは、避難し仮設住宅とも呼べないような場所で数カ月暮らしている。
そんなところで「弱った、本当に」なんていうことすら失礼なのかもしれない。しかし目の前には月末となるとお給料を払わなくてはいけないスタッフがいる。
こんな私ですが、実は落ち込むのは早いんです。「心配性」がゆえ、だと思います。12月3日にジャカルタに発つまでは体が傾いて行ってるのでは? と思うほどの落ち込みよう。「お給料、払えないものは払えないでしょう、仕方がないですよ」と言うバリ人の専務の言葉を聞きながらも「経営者として不甲斐ない」という思いしか浮かばない。
2002年のテロの時、周りの同業者さんや宿をやっている人たちが、会う度に「本当に大変どうしよう」と言っていた。前の連載の時にも書かせて頂いたかもしれないけれど、その時のsisiはお店自体にはお客さまが全然いらっしゃっていなかったので、バリ島のツーリストが減った所でそんな影響はなかったのです。
卸売販売の注文が多く、せっせと日本を中心にEMSで商品を発送していた私にとってあの「テロ」は惨劇でありながらも(ボランティアなどで実際動きました)sisiへの悪影響はほとんどなかったのです。
あの時に「観光地で観光客をターゲットにしたビジネスをしていてはダメなんだな」なんてちょっと高飛車に思っていた罰が今あたったんだ、と思い悩むほどでした。
天気も悪く、曇りか雨。毎朝起きるのが億劫で、スタッフたちの顔を見るのが辛くて「このままベッドから出なかったらどうなるのだろう?」なんて思うほどだったのです。
「これって5月病? あの頃ならベッドから出なくて済んだけれど、そんなわけにはいかないんだな...うりゃぁっ!」と飛び出してはいましたが。
なのに…
心配していたジャカルタへのフライトが飛ぶのが決まり、「飛んだだけで、今回のツアー(12月4日から9泊の長いイベントツアー”キャラバン”)の半分は成功したようなものだ!」と皆で盛り上がり、落ち込んでる私を気遣って他のメンバーがどんどん士気をあげてくれる。
行くよー、尚美さん、何言ってんの?
いつも大丈夫じゃない!
楽しく行こうよー!
1人で背負った気になって、私が支えている気になって、私だけが大変な気になって、なんでこんな目に? と思うのが実は得意な私。その度にこんな風に「仲間」が「家族」に助けられる。
よし、頑張んなきゃ!と思っていたら、イベントに来て下さるお客さま、お客さまからお友だちになった方々が書き切れないほどの温かい言葉で歓迎して下さる、励まして下さる。(たくさんのハグも頂きました)
みなさんの優しさに感激 (写真右から生島尚美さん、友人の大野有紀子さん)
私、本当にバカだな、そしてなんて素晴らしい立場なんだ、と今回のツアー中「泣きに来たのか?」というぐらいこぼれる涙をこらえました。(こらえ切れてなかったことも)
私は言いたい、伝えたい! 人はひとりでなんて決して生きていない。弱った時は励まされ、落ち込む人を見たら肩を抱き、小競り合いもコミュニケーションのひとつ。
世界はやはり美しい!
火山の噴火でもないと分かってはいたものの、しっかりこの数年実感出来ていなかったのかもしれない。
この連載の復活も宮島さんから「火山で大変なときだからこそ、それを伝えて知ってもらって頑張っていくべきなんじゃないの?」と励まされチャンスを頂きました。
えらく最初から弱気でそして勝手に立ち直った内容となりましたが、次回からは街の様子などもお伝えしながら 2009年の私が奈良から日本に戻った頃から(前回の連載で終わった辺り)を書き始めたいと思っています。皆様どうぞよろしくお願い致します!
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