第4回 「出たっ!」ついにあの話がっ。 霊験あらたか? インドネシアは不思議な国。
「ニュピ」らしく、オゴオゴの写真ですがいかがでしょう?
皆さん、こんにちは!バリ島・ウブドのsisi生島です。
バリ島ではサカ暦(バリ・ヒンドゥー教で重要視されている2つの歴のうちのひとつ)の新年『ニュピ』が3月18日にやってくるため、バリ人たちは皆、準備で浮き足立っております。ニュピの前日の夜にはハリボテで作られた異形のおどろおどろしいバケモノがのった神輿が村々をまわり、厄を払います。そしてニュピ当日には一切外出せず、大きな音、そして灯りをつけず、払った厄がバリに戻ってこれないよう、隠れるように過ごすそうです。
「それの名残らしい」という行事が日本でも多くありますが、まだまだその「本来の理由」が今も生々しく日々の生活に入り込んでいるバリ島。私が「バリ島・ウブドに暮らす大きな理由のひとつ」でもある科学では証明し切れない不思議なもの、ことの存在。「トークライブ」や「お話会」などでも率先してうれしそうに話す「その手」の話。
前回のお話の最後の最後に新築の自宅に出た「アレ!」ももちろんそれ。
忘れもしません、2009年の七夕の日「ほとんど無理矢理」引っ越しを済ませた私たち。まだ出来上がり切っていない新しい家の中での「仮住まい状態」という面白い状況でした。マットレスと取り敢えずの調理器具、食器等を持ち込んで 家の中から大工さんの仕事をチェックして急かす日々でした。
水さえ出ればどうにかなるさ、と思っていたのに、その「水」が 呪われているかのように毎日出たり出なかったり。井戸はしっかり掘った、お高いポンプもつけた…しかし、私もすでに知っている、こちらではポンプが定期的に(それも短い周期)で故障するのは日常茶飯事。
なので「水の出ない原因」としては「ポンプの故障」しかないのですが、チェックしたところ、ポンプに異常はない。それでも何度か修理して、ちょっと出て、数時間後にはまた出ないの繰り返し。職人さんに「いい加減にしてよー、わざとやってるの?」とブツブツ愚痴りながらの不便な日々が数日続きました。
その時は子どもたちが2歳と0歳だったのもあり、お水が出ないのは本当に辛い。
何度も繰り返す修理、出費、そして使えない夜を経ていよいよ私が本格的に怒り出したとき、ジャワから我が家の工事のために呼ばれ、数カ月寝泊まりしながら仕事をしていた職人さんがおずおずと申し訳なさそうに語り出したのです。
「奥さん、あの…こんな話、アレなんですけど...出るんです、アレが」と。
その瞬間、疲労と怒りで燃えていた私の目がキラリ、と違う色に光ったのでした。
「毎夕方から夜にかけて家の裏(井戸のある辺り)から女の人と子どもの泣き声が聞こえるんです。聞いたことないですか?」と。
出たっ!!!
それを聞いた途端、たまたま隣にいたバリ人の専務Kawiが「そっか、Dewi Sriが悲しんでんだな」と腑に落ちた!というように即答。大工さんたちも「この手の話で尚美の反応は??」とおっかなびっくりで私の反応を見ていました。
井戸の写真がなかなか地味で…日本の井戸みたいな風情なし。右が井戸です。
この手の話はこの時に始まったのではなく、慣れっこだし、むしろ大好物の部類(人の家の話ならもっと心から興味本位だけで聞けたけれど)。
「どうする?」とやや苦笑いで専務に尋ねてみれば「はい、すぐ追加でお供えやりましょう♪」とちょっとうれしそうにも聞こえる声で答える。
2〜3日後、sisiの職人さんでもあるバリ人女性のOさんがお供えを作り、プマンクと呼ばれる祭司と一緒に自宅にやって来て井戸で祈祷が行われました。
「これで出りゃ苦労はないけれど...とか言っててもさ、ほんまに出たりするんよねぇ」なんて夫と話していたところ、祈祷後、みごとにあふれるように井戸から水が!!!
夫婦で顔を見合わせてしばし無言…「深く考えず、水が出てきてるこの状況に感謝しよう」とうなずきあったのでした。
Dewi Sriとは田んぼの女神。田んぼをつぶして家を建てられたことが悲しくて泣いていた、とのことでした。それに対していろいろ思うこともあるものの、祈祷後にいろいろ上手くいくんだからしょうがない。子どもは、彼女の子どもたちが一緒に悲しんでいた、とのことで、我が家の家の裏のお供えには他の場所よりも「お菓子」が多めに今も毎日供えられています。
20年前に比べたら減ったとは言え、バリ島に暮らしていると日常としてこういう話が出て来ます(バリ島に限らずでしょうね)。
とは言え、いろいろな支障の原因を「出たんです」だけで済まされては困ってしまうし、全く無視ももちろんできない。異文化で暮らす、ということはその中でのバランスを「うまく保てるかどうか」にかかっているのでしょう。
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