ジョコウィ大統領が熱心に進めている土地証書の分配プログラムについて、「人々をあざむくものだ」と批判した国民信託党の重鎮アミン・ライス氏に対するルフット海洋問題調整相の発言が話題になっている。
「あなたの行動履歴を私が知らないとでも思っているのか。自分をクリーンだと思うなら勝手に喋ればいいが、あなたには汚点が沢山ある」。泣く子も黙る陸軍特殊部隊出身の退役大将の言葉だけに凄みがある。
2年以上前にジャカルタ中心街で起きたテロ事件を契機に上程されたテロ撲滅法改正案が国会で延々と審議されている。論点の一つは、テロ対策に国軍の関与をどう認めるかだ。テロ対策を本来任務に加えたい国軍は国会で、「国軍組織は国民生活の末端にまで対応するように整っているから(テロの)不穏な動きはすぐに察知できる」ので、テロ撲滅に十分貢献できると説明したと報じられた。
何気なく読み過ごしたが、これは「国軍はすでに国民生活を監視する態勢にある」と告白しているようなものだ。スハルト政権後の国軍は、治安任務を警察に任せて、国防任務に徹するため兵舎に戻ったのではなかったろうか。
私は、スハルト政権の、軍を中核にした権威主義体制が当時の時代的要請を果たした功績は大きいと評価しているが、その後に民主主義を国造りの中核に据える方向に大きく舵を取ったのもやはり時代の要請だったと思う。その観点からは上記の二つの出来事はやや心配である。
この心配は国民の中にある漠然とした気分にも向けるべきではないか、という気がする。まず今年の統一地方首長選挙に軍人(及び警察官)の進出が目立っている。また大統領の周辺でも首席補佐官や諮問会議などに軍人の登用が増えた。時代は表向き変わったが国軍や警察にはまだ隠然たる影響力があるのだろう。こうした動きに懸念を示す論調もあるが、国民の間にはむしろこれを後押しする声が少なくないらしい。
政治の季節に憎悪表現やニセ情報が溢れ、住民の間ではあつれきや緊張が広がっていることに対する国民の不安や不満がその背景にあるという。実力組織に社会の重石としての期待が集まっているのだろうか。しかしその結果、社会の安定だけを性急に求めたりすると、折角進んできた改革の道筋が横道にズレてしまいそうな気もする。民主的な意見集約に必要な煩雑で長いプロセスに辛抱できなくなって近道を選んだ結果、却って遠回りをしているよその国々を見るにつけ、全くの杞憂とは思いつつやはり気になるところだ。(了)
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