ワワンさんは津波に遭遇したが、無事生還した。 その時何が起きて、どう行動したのか。

 2018年12月22日午後9時半頃、スンダ海峡にあるアナッククラカタウ山(Anak Krakatau)の噴火に伴い海底の地滑りが起き、スマトラ島とジャワ島沿岸を津波が襲った。

  CJCのアドバイザーであり、交友会でも登山好きでお馴染みのワワンさん(Bpk Wawan Purwanto,PT.Narumi Indonesia勤務)は、Caritaビーチで家族と共に被災したが、無事に帰還することができた。 

 生死を分けたものは何だったのか、ご本人に話を聞く。


 宿泊先のリポコンドミニアムホテル(Condominium Lippo Carita)に昼11時に着いてから、家族とビーチで遊んで、バナナボート、スピンボートをやってた。いろいろあるんで。屋台で食事をした後に夜9時頃、泊まっていた3階の部屋に上がったんです。子供が「またビーチの屋台に行きたい」と言ったんですが、すぐには行かなかった。


Condominium Lippo Carita (海岸側より)



 バシャーン!とすごい音がしたのでベランダに出て下を見たら、さっきまで遊んでいたビーチが海になってた。一面水。さっきまでそこには人がいっぱいいて、屋台で食べたりバーベキューしたり。ホテルと海の間に1メートルくらいの高さの壁があったのだけど、水がそれを乗り超えて押し寄せ、ビーチ全体がホテルまで全部海になっていた。ホテルの中にいた人はみんな「TSUNAMI」「TSUNAMI」と叫んで逃げ出し、海岸と反対側の出口から出て行った。


夕方4時頃、左下にクラカタウが見える (ワワンさん撮影)


 私は本当に津波なのか?と思った。だって地震が何もないから。最初は津波じゃないでしょ?と疑った。でも、この水は何? 一番怪しいのは、ずっと聞こえていた爆発みたいな、ぼーーんという音。実は着いてからアナッククラカタウ山の噴火の音がずっと聞こえていたんですよ。火山はビーチから見えるんです。気象庁によると、昼12時から津波まで9時間で400回くらい爆発があったそうです。そのたびに爆音。すごいでしょ。ぼーん、ぼーんと。最初は何の音だろうか、ああ、火山かと。昼は明るいのであんまり見えなかったんだけど、暗くなると真っ赤に見えてくるんです。噴火口から溶岩が流れ出て山の形が全部真っ赤。私は前にクラカタウ山の頂上まで登ったことがあるんですよね。その時はああいう感じじゃなかったのにこれって大丈夫かなー?と思って、屋台の人たちに訊いたんですが、大丈夫、平気ですって。(笑) その人たちも亡くなったのだろうね…。

夕方6時すぎ、真っ赤なアナッククラカタウ (ワワンさん撮影)



 みんながパニックになっている声が聞こえて、どんどんホテルから逃げて行くのだけど、私はまだ心配、逃げる時にどこへ逃げるか、いろいろ考えた。左へ行くか右へ行くか。なぜかというと道は海岸沿いに平行に伸びているから左も右もビーチ。心配なのは次の津波。本当に安全なのかなぁと。ホテルに残る方が安全かもしれない。なぜかというと3階ですからね。車で逃げる方が危ないかもしれない。逆に、ここにいたら安全かもしれないけど、ちょっと心配は電気とか。で、ちょうど2回目の津波が来たら何分後にどんどん電気が消えていった。2回目の方が津波は大きかった。音も、水位ももっと高くて、ホテルに当たって中に水が入って。でもホテルは揺れなかったし、衝撃もない。だから私はこのホテルは大丈夫かなと思った。でも、結局停電したので動くことにしました。

Condominium Lippo Carita (Google mapより)



 ホテルから出たのは私が最後でした。部屋の扉は全部開けっぱなしだったから中が見えるのだけど、カバンとか荷物置きっぱなしですよ。みんな、ホテルの後ろに停めてあった車で逃げた。私はベランダから下を見たり、ネットで情報をとったり、考えて、もう逃げても大丈夫かなーって。2回目の津波で停電になってから30分くらい考えて、もう津波は来ないかなと思って。

 私は1回目の津波の時に奥さんにはまず荷造りしてくださいと言って、自分はその間ずっと部屋のベランダに出て上からビーチを見ていたんです。もうみんな物の形がぐちゃぐちゃでした。いろんなものがむちゃくちゃになっていた。

Condominium Lippo Carita (道路側より)



  ホテルを出る時に、海岸の様子を見ようと思ってビーチに戻って様子を見たのだけど、暗くて、いろんなものが見えるけどはっきりと見えない。死体とかあるかもしれないけど、あんまり見えないし、子供が「お父さん、ここにいては危ないんじゃないですか。津波がまた来るのが心配です」と。近くの、バーベキューをしていた場所に女性がいて、「助けてください。津波で子供がいなくなったんです」と必死に言われたけど、どうしようもなかった。私は何もできなかった。 


  で、左へ曲がってチルゴン方面へ車で走った。500メートルぐらい行けば、もう道が通れない。ひどくて、いろんなものがぐちゃぐちゃに散乱していて。そこに住民の人がいっぱい立っていて、「ここは津波の被害がひどいです、Uターンしてください」と言われ、そこからまた1キロくらい走った後に、同じく道にいろいろぐちゃぐちゃとものがあって。道はみんな海岸から近いので同じ状態です。そこを抜ければ山の方に避難ルートがあるんですよ。その山へ行けばいいよといろんな人に言われたんですけど、どうかなと思って。山の方に行くのか、そのままジャカルタ方面へ行くのかいろいろ考えて。とりあえず行けるところまでジャカルタ方面へ行こうと。だって山へ行ってその後どうやったら帰れるか。まず心配なのはガソリン。実はガソリンがもう残り少なかったんです。

 壁が倒れて道路の邪魔になっている。道路にいろんなものがあるんです。ベッドもあるし、椅子もあるし。いろんなものが邪魔になっている。動かせるものは住民の人に動かしてもらうけど、コンクリートの壁は動かせない。その上を通らないといけない。鉄筋がむき出しになっていて、私はその鉄筋が一番怖かった。飛び出ているのが見えるんだもん。何とか避けれないかと安全な場所を探すのだけど、車の腹を何度も擦ったり。私が大丈夫かな、通れるかなと迷っていると、高校生の子供が「お父さん大丈夫大丈夫、行けるよ!」って。(笑) 一番心配なのがタイヤ。パンクしたらおしまいだから。でも何とか大丈夫だった。


 11時頃だったか、ガソリンスタンドが見つかったんだけど、バイクがものすごいいっぱいいて入れない。100台? もっとじゃないかな。みんなわーっと早くしてくれーと。とにかくあちこちに人がいっぱいいて、私が車で走っている時も海岸の方からいろんな人が飛び出して来た。みんな急いでいて走っている。周囲にホテルがたくさんあるんだけど、ホテルからもいろんな人が逃げて来て、車が壊れた人たち、家族たちはみんな歩いている。家族別に。いろんなものを持ちながら。車が連なって横倒しになっているのも見ました。それはおそらく1回目の津波の後で逃げた人たちが渋滞で動けなくなったところに2回目の津波が来てやられたように見えました。



 少し遠いところ、セブンティーン(Seventeen)という有名なグループがビーチで演奏していて津波に巻き込まれてメンバー4人のうち3人が亡くなった場所。(https://www.youtube.com/watch?v=XjZajgAE9ds) それがTanjung Lesungというところだけど、私はそこまで車で南下して、そこでようやくガソリンスタンドを見つけて給油できた。多分そのへんはバイクが少ないから。これで大丈夫だと本当に安心した。(笑) それから私は休めるところをいろいろと探したんだけど、どこもかしこも人がいっぱい。とくにモスクはもう人だらけ。みんなモスクの中に入って休んでる。見つかったのは朝の3時で本当に小さな民宿。ホテルはもういっぱいで、ホテル見つけても必ず人がいっぱいで、ない、ない、ない。民宿もそこが一番最後で、ベッドはあるけどベッドカバーはないとか。もういいや。とにかく眠れる。(笑) 25万ルピアだった。


 翌日(23日)もずっと車で走って疲れたので、Serangという町で泊まることにしました。で、チカランの自宅に帰宅したのは24日の午後。道も渋滞だし、ゆっくりと走って。途中、救急車がいっぱい行ったり来たりするから、私はビックリした。なんでこんなに救急車がいっぱいなのかなと。もしかしたら死亡者が多いかなぁと。最初はそんなに多いと思わなかったんですよ。当然死亡者はいるにしても数人かと思っていた。まさか500人近くになるとは。あんなに救急車がたくさん初めて見ました。10分おきごとにいっぱい、いろんなところから現れて。


 昨年はAnyerビーチへ行って、子供がまたビーチへ行きたいっていうから今回はCaritaビーチ。私はネットでいろんなホテルを見て、たまたまCondominium Lippo Caritaに泊まることにした。その北の方に、Villa Stephanieというホテルがあるんですけど、そこは全部潰れちゃった。そこが一番亡くなった人が多い。一軒家みたいな木造のコテージがいっぱいあって。しかも海岸との間に壁がなかったみたい。その方が人が自由に出入りできるでしょ。でも波が入って来て全部流されちゃった。車も全部流された。最初はそこも検索したんですよ。たまたまそこにはしなかった。


 実はね、最初行く時に、なんか今日は気分が良くないなあと。いろんなことがあったんですよ、出かける時に。もしかしたら向こうに何かあるのかなーと思った。だって最初買い物してアルファマートの店員と喧嘩したりとか。(笑) クレジットカード、デビットカードが普通はできるのにできない。「今日だけはできません」「なんで?」とか。E-toll入れようと思ったけどアルファとか何軒回っても全然できないので、ATMに入って20万入れたんですよ。レシートもちゃんと出たのにゲートに入ったら残金8,500ルピアしかない。あれ?この20万はどこに行った?(笑) だから、私はずっとイライラしてたんです。高速のレストエリア入って現金引き出そうとした時もATMが全部壊れていたり。で、トイレ行ったら水がない。


 もしかしたら何かあるんだろうなと思ったんです。ずっと車を運転しながら何もないように何もないように…。私はずっとそう思っていたんです。これは何かがあるんだろうなーと。まさか津波とは思わなかったけど。出かける前にこんなにたくさん嫌なことが本当にいっぱいあるなんて、そういうこと初めてですよ。(了)


チカラン日本人会 (CJC)

西ジャワ州ブカシ県チカランやカラワンに住む日本人の集い「チカラン日本人会」は2015年11月に発足。地域のさまざまな情報を交換し、問題を共有、解決を図る組織を目指していきます。

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