アホック前ジャカルタ州知事が20ヶ月の禁固刑を終えて釈放された。折から大統領選挙戦の終盤で両陣営が最後の追い込みに拍車をかけている時期でもあるので、アホック氏の政治的な去就に大きな関心が集まったのは自然の成り行きであった。既に旧聞に属する話の蒸し返しで恐縮だが、やはり意味深い事件だったように思われる。
アホック氏はジョコウィ大統領がジャカルタ州知事だった時の副知事で、ジョコウィ氏の大統領就任に伴って知事に昇格した。住民自治に具体的な実績をもたらすことを最優先して、前例やしがらみなどには全くとらわれないという清新さが二人に共通する政治姿勢として評価されていた。その意味では理想的なカップルであったし、政界ではアホック氏はジョコウィ氏の政治的な盟友のように見られていた。
アホック氏による「宗教侮辱」に対する激しい抗議運動が、実はそのままジョコウィ氏への攻撃になって、ジョコウィ大統領再選の動きを牽制する強力な政治運動の性格をも併せて帯びていたのは、二人の間にこうした緊密な関係があったからだろう。反ジョコウィ陣営はこれによってアホック発言を最大限利用する千載一遇のチャンスを獲得し、その結果得られた知事選挙での勝利という成功体験が、大統領選挙戦の本番にも引き継がれて今に至っている。従って、今年の選挙がイスラムを大きな軸にして展開されるのはやむを得ないところがある。
大統領選挙との関係で言えば、ジョコウィ氏が最大のイスラム組織NUの最高指導者であるマアルフ・アミン氏を副大統領候補に選んだことでアホックを取り巻く政治環境はもう一つ複雑になった。マアルフ氏は、イスラムの戒律を解釈する国内の最高権威とされるイスラム学者会議の議長として、アホック発言を宗教の冒涜と正式に認定した。このためジョコウィ氏の決定はアホック支持層らに大きな失望を与え、選挙棄権の雰囲気がこれを契機に広がったとも言われる。他方でアホック氏がジョコウィ選対に加われば、マアルフ氏の副大統領候補指名でジョコウィ支持に留まっている人々の中から離反者が出るだろうと言われている。
アホック氏を巡るこうした複雑な政治環境は政界に様々な思惑を生んだ。カラ副大統領が、アホック氏の本格的なジョコウィ陣営入りに慎重な意見を述べ、トヒール選対委員長は反対に積極的に受け入れる姿勢を示したと報じられたことにも、その複雑さの一端が現れている。こうした中でアホック氏は、(大統領選挙戦が終わる)4月末か5月頃まではゆっくり自由の身で旅をしたいと友人にメールを送ったと伝えられた。熟慮の上の政治判断であろう。日本も旅行計画先に入っているらしい。アホック氏の政界復帰を巡る思惑は大統領選挙後に繰り越されそうだ。
しかしこれら一連の「アホック事件」の余波で最も懸念されるのは、大統領選挙への影響よりも、事件以降の政治がもたらした人々の意識の変化ではないだろうか。アホック事件は宗教上の怒りが政治的に利用されて知事選挙の勝敗を左右する結果を招いたが、影響はそこに止まらず、その後の大統領選挙戦では、イスラム的であるかどうか、が有権者の投票行動を大きく左右するとして、候補者は争ってムスリム寄りのキャンペーンを展開するようになった。この結果、宗教的にも多様な社会を普通に受け入れていたはずの人々にまで偏狭な意識を植え付け、社会を分断しかねない方向に人々の意識が退化しているのではないかと懸念が広がっている。
独立から70年を超える歴史は、民族の多様性の前提である「違い」を克服して、多様性が国民に自然に受け入れられるようにするための紆余曲折の道のりであったと見ることもできる。卑近な例だが、私が留学中のスハルト政権のはじめ頃にはまだ地方の出身別の寮があって、種族の違いがしばしばけんかの原因になることがあった。結婚も同じ種族であることが親にとっては大事と語る人もいた。そういう世相は今、すっかり影を潜めている。種族はもはや大きな「違い」ではなくなった。宗教の違いは種族よりもずっと難しい道のりだったが、それでも克服の道筋がようやく見え始めていたと思う。その象徴的なケースがアホック氏であった。
ジャワ人どころかいわゆる「純粋なインドネシア人」ですらない華人系で、しかもクリスチャン、加えて話し方もあまりに直截(ちょくせつ)で粗雑。その彼が一時期は70%を大きく超える支持率を得ていた。当然その多数はムスリムが占める。私が初めて接した頃のインドネシアからは夢想だにできない出来事である。
メトロポリタンでの現象とは言え、改革の時代に入ってから僅か20年、スハルト政権末期の社会変化の時代を入れても社会が急速に開放的になり、人々の意識も大きく変わってきたように見えた。その他の諸々の社会事象を勘案すればこの「アホック現象」はたまたま起きた特異な事象でないことは明らかだ。
しかし今、社会は再び「我々」と「彼ら」の違いをわざわざ作り出していがみ合う状況が生まれている。違いを乗り越えるためのこれまでの歴史に逆行している。しかも政治を超えた社会現象としてこの流れが定着してしまいそうな心配がある。最初は政治的な思惑での人為的な反動だったのかも知れないが、動き始めた社会現象は政治の季節の終了ではもはや簡単に止まらないかも知れないという怖れがある。
アホック氏の復帰というのはこうした社会現象に絡んだテーマではなかろうか。アホック氏は、服役中に新しい自分を発見したと語り、今後は自分をアホックではなく、BTP(バスキ・チャハヤ・プルナマの略称)と呼んで欲しいと述べているらしい。全く新しく出直す覚悟なのだろう。彼の復帰がどのように社会に受け入れられるのか、あるいは拒否されるのかは、これからのインドネシアを見る上での指標になりそうな気がする。インドネシアの政治が「アイデンティティー政治」ではなく「多様性の政治」と再び呼ばれるよう、本来の軌道に戻ることはできるのだろうか。(了)
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