轟英明さんのインドネシア・レビュー、第9回 『東南アジアのポピュラーカルチャー アイデンティティ・国家・グローバル化』の深みにハマる ~ 執筆者の一人キム・ユジンさんインタビュー(前半)

前回はリッポー(力宝)グループ会長モフタル・リアディが日本経済新聞に一ヶ月連載した『私の履歴書』に私なりの注釈を加えてみました。新聞連載中に日本でおこなわれた講演会に出席したモフタル氏は89歳の高齢ながら矍鑠(かくしゃく)たるご様子で、同行された奥様やご家族と銀座での買い物を楽しまれたとのこと。1950年代後半、モフタル氏の一度目の破産の危機を自ら子ども服を縫って助けた奥様は、今でもいざとなれば自分でアパレルブランドを立ち上げて夫を支えられるほどの気力をお持ちらしく、これこそ内助の功。進行中の巨大プロジェクト・メイカルタ開発の進展具合を含め、私にとってリッポーグループへの関心は尽きません。読者の中でモフタル氏の『私の履歴書』及びインドネシア語(又は英語)自伝を未読の方は是非一度手に取ってみていただければと思います。


さて、今回は今年の3月に出版されたばかりの大部の論文集『東南アジアのポピュラーカルチャー アイデンティティ・国家・グローバル化』を紹介したいと思います。全478頁、執筆者17人、全13章プラスコラム20本に現地レポート1本、定価4,000円(税抜き)と盛り沢山な内容で、この手の大著を読みなれてない方にはややハードルが高いと感じられるかもしれません。しかし、扱っているジャンルは映画・テレビ・コスプレ・ファッション・ラジオ・舞踊・ポピュラー音楽・インディーズ音楽・歌謡曲と多種多様、対象国もインドネシアは勿論のこと、他の東南アジアの事情についても詳細に分かりやすく記述されており、読者は自分の関心に合わせてどの章どのコラムからでも読める構成になっています。本書の目次を以下に挙げておきます。 

478頁の重量級。厚くてアツい『東南アジアのポピュラーカルチャー』


本書の特徴はめまぐるしく変容しつつある東南アジアという地域とそこに住む人々の今を、ポピュラーカルチャーを通じて事細かに描写することに成功していることだと思います。総論よりも各論重視の結果、ポピュラーカルチャー全体を把握することはこの大著を読破しても容易ではないのですが、しかしそれこそがこの分野の研究がまさに現在進行中であり、文字通りアツいことに他なりません。


近年は農村部でもIT化が進み、伝統的価値観とそれを反映していた伝統芸能や芸術も否応なく変容しつつあり、かつてのハイ・カルチャーとサブ・カルチャーという二項対立的図式そのものが揺らいでいる中では、ポピュラーカルチャーをジャンルとして定義するのは難しい、と編著者の福岡まどか氏は述べています。またネット時代以降、同時代文化の生産・流通・消費を一人で研究分析することはその広がりと拡散速度から容易ではなく、複数の研究者が共同執筆する本書のスタイルは本が厚くなりすぎるきらいはあるものの、それだけの深みと面白さが感じられる内容です。福岡まどか氏は序章を次のように結んでいます。 


 東南アジアの人々に対して多くの人々が抱くイメージは、自然と共存し伝統文化を守り深い信仰心に支えられた生活をする人々というものが一般的かもしれない。だがその一方で東南アジアの人々はまた、メディアを駆使し、物質文化を謳歌し、論争に参加し、多様な面で創造性を発揮していく人々でもある。文化のもつ力がどのように、人々に、社会に、そして世界に影響を及ぼしていくのかという問題に、現代東南アジアのポピュラーカルチャーをめぐる研究はひとつの鮮烈なイメージをもたらしてくれるのではないだろうか。(同書50頁)


この論文集に先行すること23年前、『インドネシアのポピュラーカルチャー』という名著がめこん社から出版されており、その帯は「インドネシアおたく大集合」というものでしたが、本書には「東南アジアおたく大集合!」との帯をつけたくなる衝動に私はかられたことをここに告白しておきます。


今読んでも十分面白い内容でおススメの『インドネシアのポピュラーカルチャー』


閑話休題。『東南アジアのポピュラーカルチャー』執筆者の一人、金悠進(キム・ユジン)さんは数年前からの知り合いだったので、本書読了後にインタビューを申し込んだところ、快諾していただきました。分量が多くなってしまったため、前半後半に分けて以下掲載したいと思います。


 - 本書のご出版、誠におめでとうございます。まずはじめに、ユジンさんの簡単なプロフィールを教えていただけますか。


1990年大阪生まれの27歳。同志社大学法学部政治学科卒。現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程在籍中です。2017年7月から2018年末ごろまでバンドゥンに滞在予定です。


 - この論文集へ寄稿することになった経緯は?また執筆者の専門は分野も地域もバラバラで、それが本書の魅力の一つだと思いますが、内容のチェックや確認作業は大変だったのでは?


 本論文集は研究会の成果出版ですが、その研究会のメンバーである坂川さんのご紹介のもと、聴取者として定期的に参加させていただいたのがきっかけです。本書の編著である福岡まどか先生、福岡正太先生のご厚意に預かり、また大変幸運なことに、自分の関心が本書の目的から大きく外れるものではありませんでしたので、執筆させていただくことになりました。ただ、海外人名表記の統一や現地語のカタカナ化は大変でした。私の苦労は微々たるもんですが、出版社の方からの微細な部分に至るご指摘に頭が下がりました。


 - ユジンさんの専門であるインドネシアのポピュラー音楽についていくつか質問させてください。インドネシアのポピュラー音楽の特徴を一言で表すとしたら何でしょうか?また日本のポピュラー音楽との共通点あるいは相違点は何でしょうか? 


 特徴は「ある」とも「ない」とも言えます。  日本との違いは、音楽シーンの新しい動きが歴史的に地方から生まれてきたことでしょうか。日本のように東京一極集中的では必ずしもありません。初の娯楽雑誌「ディスコリナDiskorina」はジョグジャで創刊されました。初のロック雑誌「アクトゥイルAktuil」、初のインディペンデント・ジャズレーベル「ヒダヤットHidayat」はバンドゥンで創刊・設立されました。毎年恒例の巨大ロックフェスティバルはスラバヤとマランを中心に初めて開催されました。初のインターネット専門レーベル「YES NO WAVE」はジョグジャで創設されました。  また、日本的「上京」文化は、インドネシアでもかつてありましたが、最近は首都ジャカルタに移住せず地元や地方都市を拠点に活動する音楽関係者が多い気がします。  あと、特徴が「ない」というのは、私の元々の専門が音楽学ではないため、それをうまく表現できないところがあるためです。特徴は一応あるにはあります。ただ、「インドネシア独自の音楽」といった表現は少なくとも私は避けています。


 - インドネシアはご存知のとおり多宗教多民族国家であり、同時に多種多様な地方文化が、また日本とは比較にならないほどの所得格差が存在する文字通りの大国です。この大国をまとめる国是「多様性の中の統一」は、ポピュラー音楽のシーンにおいてどのように実践されてきたと考えますか?


 私は、よく巷で言われる「インドネシアは内外のあらゆる文化を受け入れる寛容な文化的土壌がある」というステレオタイプな見方にちょっと否定的です。60年代前半にスカルノ大統領がロックンロールの演奏を規制したり、70年代の洋楽かぶれエリートが大衆歌謡「ダンドゥット」を侮蔑したように、異文化を受け入れない側面もあったのは事実です。あるいは、「多様性の中の統一」という国是に異議を唱える音楽実践も多々あります。  とはいえ、ジャズミュージシャンがスンダやジャワやバリなどの伝統楽器を取り入れる、スカ系バンドがダンドゥットを取り入れるなどといった事例は決して珍しいものでも新しいものでもありません。「多様性の中の統一」という建前が実態を伴う現象は確かにあるでしょう。


 - なるほど。多様性に絡めて質問を続けると、インドネシアでは階級あるいは階層によって好む音楽ジャンルが異なるというのがかつての定説でした。例えば、ダンドゥットは大衆のための音楽(インドネシアの演歌などと形容されたこともありました)、ロックは都市エリートのための音楽というように。ただ、近年はこうした単純な区分けが有効でなくなっていると思います。


 おおむねその通りでしょう。ただ、この区分けを考える際には、①支持層、②演奏者、③評論家の3つの側面を区別して論じる必要があります。


 例えば支持層。中間層がダンドゥットコンサートで楽しく踊る様子はよく見ますし、別に新しいことではないです。逆に、低所得層がロックのリスナーであり、何百kmかけて路上ライブしながら小銭かき集めてメタルライブに死に物狂いで参加することもあります。


 しかし、演奏者を見た場合、ダンドゥットが庶民出身からスターダムへのし上がる夢を与えるのに対し、ロックミュージシャンの場合、私の調べた経歴調査の限りでは比較的豊かな家庭環境でなければスーパースターになりにくい、敗者復活が成り立ちにくいです。インドネシアに「矢沢」はいません。日本のポピュラー音楽との違いの一つでしょう。


 また、音楽評論家の中でも、特に「ロック派」の中ではいまだにダンドゥットに対して距離を置く者がいます。昔のようにダンドゥットを侮蔑することはありえませんが、「ダンドゥットは嫌い」と公言するロックジジイもいますし、「(ダントゥットの王様)ロマ・イラマだけはええけどなあ。他はあんまり。」という人もいます。音楽的嗜好は嘘をつけません。それはインドネシア人の評論家が執筆したエッセイ集や「ベスト・ソング/アルバムトップ〇〇」と銘打ったものを見れば明らかです。 (次回に続く)


<参考文献> 

福岡まどか・福岡正太編著 『東南アジアのポピュラーカルチャー アイテンディティ・国家・グローバル化』 スタイルノート 2018年3月26日発行

 松野明久編著 『インドネシアのポピュラーカルチャー』 めこん 1995年12月1日発行




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