「閣僚ポストを政治取引の道具にはしない」と2014年に大統領選挙で勝利したジョコウィ氏は言い切った。仲間うちで政治のうまみを分け合いましょうよ、という声が聞こえそうな政治エリートたちの「なあなあ主義」がはびこる世界に、この人は本当に新風を吹き込む覚悟なのだろう、とこの発言を聞いて新鮮な感動を覚えたのを思い出す。あれからもう4年近くが経つ。
大統領に就任した後には、まだ政権基盤も整わないのに、石油補助金を撤廃すると発表した。無謀とも言われかねないその決断は驚きだった。英断と評価する声は当然あったが、圧倒的な権威主義体制を築いてこの国を30年以上も統治してきたスハルト政権が崩壊する発火点が石油燃料の値上げだったことを思い出した人も多かったに違いない。
ジョコウィ氏にとって未知の世界と言われた中央政界は今や大統領を中心にして全ての歯車が動き、その一挙一動に世の中が注目している。海千山千の政治のプロを相手にして、あの清新なジョコウィ氏はあのままでいるだろうか。
先のゴルカル党総裁選挙を受けた内閣改造を見てみよう。大統領は、閣僚等の人事権やその他の大統領権限が政治を動かす重要なツールであると言う、ある意味で当然の事実を受け入れ、むしろ積極的に行使しているように見える。
石油燃料や電気の補助金撤廃は、料金の据え置きで骨抜きになりかかっていないか。補助金と財政規律の狭間でしわ寄せが国営企業の財務に隠れていそうな心配もあるが、何よりあの決断で期待された国民の意識改革は忘れられたようにすら見える。改革と言えば、一丁目一番地の汚職撲滅で最前線にいたノフェル捜査官に対する襲撃事件はどうなったのだろう。疑問は次々に出てくる。
ジョコウィ氏は変わったのだろうか。清濁を併せ飲むつもりが旧態依然の政治にはまり込んではいないか。いや、彼はきっと、進化中なのだろう。2億6千万人の国民と広大な国土を相手に、その進化がどういうものか、まだ回答が出ていないのだと思いたい。
動き始めた大統領選挙。この国の将来像を語る議論が本当に少ない。憂慮という名の脅迫、自己主張という名の差別、「庶民が」と言う時の弁解、などなど。こんな選挙戦なら、ジョコウィ氏が進化の過程なのかどうか、あと5年様子を見ても良いような気がする。 (了)
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