第9回 おそるべし「縁日祭❗️」
そして怒涛の展開が待っていた。
著者近影。こういう穏やかな日常を大事にしたいものですネ。
アグン山は緩やかに噴煙をあげる朝もあります…
鹿児島・桜島と生きる人々のように私たちも「生きた火山」とこうして暮らして行くのだな...なんて悟ったように思っていたら、今度は地震! 私は15年以上バリ島をベースに暮らしていますが、今までで一番大きく長く感じた地震でした。
震度5ぐらいで、ちょうど家族でいつも通り呑気に夕食を食べていたとき、ガン! ゆら〜と気持ちの悪い揺れが。 普段ならこれぐらいで収まる、遠いところからさらにふわりふわりと揺れていたような感じ。
阪神淡路大震災を神戸よりの大阪で経験した私としては声も出ないほど恐かったのですが(あの時はこの後、建物ごと揺さぶられるようなすごいのが来ました)、隣にいた娘の手を握るのがいっぱいいっぱいだった私を置いて子どもたちがソーッと机の下に入ったのを見て我に返りました。
確かに地震が本来ほとんどないバリで強い揺れ、しかし、きっと震源地ではないはず、どこが? と思ったら、皆さんもご存知の通りお隣のロンボク島北部でした。
今も余震が時々やってきて、ロンボクでは被害が広がっています。それはやはり 本来地震が起こらないと想定されていた場所だから。人々はパニックになり、簡素に作られた建物は倒壊している。冬がない場所で良かった、と思う一方、今、バリと同様、夜になると20度近くまで下がり、インドネシアの人々の感覚では「寒くて仕方がない」。被災者は外で寝るしかないため、不安が襲うばかりでしょう。
隣の島であるが故に皆、知り合い家族が住んでいる。人ごとではなく皆で支援をしています。来月に行くジャカルタでも支援企画考えていますので、タイミングが合いましたらぜひ。
ではでは、前回の「縁日祭」初登場の話の続きを…
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右も左も分からないジャカルタで、「誘われるがまま」に参加した「縁日祭」。そもそも、「縁日」のイベントなのにsisiが参加しても良いものなのだろうか?
ところが始まってみると、「あ、ここ、ここ!ほんと、sisi来てるー」「sisiさん来て下さったんですねー」「ここで買ってきてって嫁に言われた」。さらにたまたま通りがかった女性のお客さまが「あれ? なんでsisiが来てるの? バリからいらっしゃったんですか?」なんて。
私たちチームsisi。(この時は私とバイトで来てくれた後輩、そして日本好きのジャカルタ人の友人)、本当に驚いてしまいました。どうして、sisiをご存知なの?? と。
ある男性のお客さまは同僚の方を5-6人連れていらっしゃって、「ここはねー、sisiって言ってバリ島の有名なお店。ここで買っとけば絶対間違いないから。嫁に彼女に家族に買ったら良いよ、ほら、これとかさ。俺はこれとこれと」とご自分もですが皆さんにどんどんお勧め。他の方も「あぁ、そうなんだ、じゃ、どれにしようかな」なんて! 「あ、ありがとうございます、そんなに宣伝して下さって」とお声かけたら「あ!日本人の方がいたんですね〜〜〜 恥ずかしい〜〜」とすごく照れていらっしゃいました。
2013年縁日祭での著者。ガンガン売れるのでビックリ❗️
『縁日祭』自体は皆さんもご存知の通り、来場者の9割はインドネシア人。もちろん購入して下さった方もいましたが、ほとんどは日本のお客さま。2箱分持って来た300アイテムぐらいの商品は、最後に4-5アイテムを残すだけにまで売れてしまった! そんなことを誰が想像したでしょう!
男性のお客さま、というのは面白いもので「お使い」で来られた方も多くブースにいらっしゃって困った感じで「あのー、sisiを5個下さい」なんておっしゃる。「あの、どんなものをご用意しましょう?」と伺うと「えっと…5個買ってこい、って言われただけなので、選んでもらって良いですか?」なんてなって。それが故にほとんど最後まで売れてしまったわけです。
山車のお囃子部隊の子どもたちの付き添いでいらっしゃったママたちも暑い中、メイクをしたカワイイお祭りキッズたちと一緒に「いやぁ、助かった、今日は暑くて大変だけど、待ってる間に買い物できた!」なんて言って下さって。
恐るべし「縁日祭」!!!
バリ島に戻って私はsisiチームに「どうも、ジャカルタの方は”sisi”の事を結構ご存知らしい!本気でジャカルタにイベントで行った方が良い!」と報告しました。日本人の知り合いはほぼ皆無、土地勘もなく、コネもないバリ島のカバン屋”sisi"が、ここから”Caravan”(年に何度かジャカルタを中心に行なっているバザーツアー)に繋がっていったのでした。
驚愕の第1回”Caravan”「そして嵐はやって来た」に続きます。
<次回の掲載につづく>
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