大統領選挙結果の発表を契機にして発生した暴動は、いくつもの波紋と様々な憶測を生んでいる。波紋の一つは、選挙結果への抗議デモを意図的に暴動に発展させ、その混乱の中でデモ参加者を計画的に射殺した上で、これを警察の仕業に仕立てて政府を追求する大規模な騒乱状態を作り上げようとする計画が摘発されたというものだった。ティト警察長官は、容疑者から押収した小銃を記者会見で示しながら、容疑者の供述や関係者の証言および物証が揃っていると立件に自信を示した。
ティト長官の記者会見を聞いて、かつてスハルト政権の崩壊やスカルノ大統領の失脚の契機となった大規模デモが、デモ参加者に死者が出たことで騒乱状態、さらには政変への大きなエネルギーが生まれる一つのきっかけになったことを思い出した人も多いに違いない。治安当局としては、平穏に慣れた国民に「今回の暴動は単なる騒動とは違う」と危機意識を与える意味があったのかもしれないし、他方でプラボウォ支持者には、治安当局による政治的な目的を持った意図的な誘導説明だと受け止められたかもしれない。
この波紋にもう一つの波紋が加わって、一つの憶測が生まれている。もう一つの波紋とは、元陸軍特殊部隊(コパスス)隊長のスナルコ退役少将が政府転覆の容疑で、また元戦略予備軍参謀長のキフラン・ゼン退役少将が銃器不法所持の容疑でそれぞれ逮捕されたことである。両氏ともスハルト政権下では国家の根幹を支えてきた陸軍の中でも選りすぐりのエリート軍人であった。スナルコ氏は、最近まで紛争地域だったアチェから武器を取り寄せたが暴動発生前にジャカルタの空港で摘発されたと報じられている。ゼン氏は政府高官暗殺の陰謀をくわだてた疑いを受けている。
一つの憶測とは、スハルト体制の崩壊によって国軍は国防任務に専従することになったが、果たして民主的な組織として本当に定着しているのか、文民のジョコウィ大統領は軍の最高司令官として軍を充分掌握できているのだろうか、という問いである。日常の市民生活の中では実力組織としての軍の存在がほとんど感じられなくなってからすでに20年近くが経過し、そういった問い掛け自体が場違いに感じられるような雰囲気が一般的になっているが、軍が国防以外の目的で武器を取ることがあるかも知れないという、世界の一部の国々では当たり前の可能性を突然思い出させるような事件だった。
その憶測に現実味を与えたのは、大統領が有力な退役軍人数人を宮殿に招いて会合したことだった。招かれたのは、陸軍、海軍および空軍の各退役軍人会会長3人の退役将軍に加えて、陸軍の伝説的な先輩であるウィスモヨ元陸軍参謀長とシントン・パンジャイタン元コパスス隊長の2人。在郷軍人会会長のアビン退役中将とスタルト元国軍司令官も出席した。政府側からはウィラント政治調整相とムルドコ大統領首席補佐官(2人とも国軍司令官経験者)が出席した。会合の内容は明らかでないが、ムルドコ氏は、会合が2人の退役将軍逮捕との関連で持たれたことを認め、「この逮捕について退役軍人の中には政府に対して誤った理解があるので、国軍と退役軍人社会でのオピニオン形成に影響力がある諸先輩に、そうした誤った理解を是正してもらい、政府との橋渡しの役割を果たすことを期待している」と発言している。
「誤解」とは一体なんだろうか。仮になんらかの誤解があるとして、退役軍人の誤解を是正するのに、80歳近い軍の長老まで引っ張り出すほどに深刻な必要性があるのだろうか。あるいはプラボウォ氏を退役軍人のシンパから切り離す政略なのだろうか。ジョコウィ政権の重要閣僚であるリャミザード国防相ですら、当初は警察の捜査に勇み足があったかのように述べて容疑者2人を弁護していたので、この事件はプラボウォ支持者だけでなく両陣営の垣根を超えて、広く軍人全体に「誤解を与えかねない」インパクトを持っていた可能性がうかがわれる。それにしても事件の深刻さは別として、容疑事実それ自体は刑事事件として客観的に立件できさえすれば誤解の生じようのない案件のようにも思えるのに、ジョコウィ大統領にはいつもの主張と違って「粛々と法手続きに任せる」ことができないでいるように見える。
ある軍事評論家は、今回の大統領と退役軍人の会合について、子どものけんかに先生に来てもらって、やっとけんかを抑え込むようなものだと評している。文民政府は20年の改革時代を経た今もなお、軍に急所を握られており、ジョコウィ大統領は退役軍人に助力を頼まざるを得ない問題を依然として抱えているという現実を改めて思い知らされている、という分析である。改革の時代に入ってからすでに幾度も大統領選挙や議会選挙、加えて地方首長選挙が平穏理に繰り返し行われ、投票にも物理的な強制や干渉はまったくなくなった。国会の審議や国民の日常的な政治活動でも軍の介入はもはや存在しないように見える。しかしこの国の政治には、国軍の圧力が目に見えない重力のように隠然と存在しているのだろうか。
先の軍事評論家は、退役将軍は内部で、あるいは政治面で争うことはあっても、シビリアンからの介入に対しては軍の威厳の維持を最優先して強い一体性を示すので、今回の事件も全容の解明を国民に示すことはできずに曖昧のまま終わるのではないかと予想している。もしそうだとするとインドネシアの政治は、その中にブラックホールのような存在を想定しておかないと正しく理解できない世界ということになりそうである。メディアや識者が事件直後から執拗に、情報の公開と透明性を訴えているのが理解できるような気がする。(了)
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