昨年12月に始まった中国漁船による北ナツナ海域EEZ(排他的経済水域)での違法操業は侵入と退去を繰り返していたが、今年に入って中国海警所属船舶と共に同海域にとどまり操業を継続する事態に発展した。インドネシア国軍は最終的に艦船8隻、F16戦闘機4機を投入するなど、中国艦船の違法行為を許さない強硬な姿勢を明確に示し、10日には大統領がナツナ県を訪問したのを契機に中国船舶はようやくEEZから退去した。ところがその後再び中国漁船の違法操業が再開され、北ナツナ海域での睨み合いは続いている。
中国漁船の違法操業が大きな関心を集めたのは2016年以来だが、この一連の事件で注意を引いたのは、国軍が一貫して毅然と中国公船に対峙したのに対し、中国との関係配慮を優先した関係閣僚のやや腰が引けたような対応であった。この事件はインドネシア人の民族主義感情を刺激し、ある国会議員は中国主催の国際会議を全てボイコットしろとまで主張していた。現地紙の世論調査では、「海軍等の艦船を使って中国船を追い出すべき」に賛成とする回答が9割を超えていた。中国大使館は対中国感情の悪化を理由に自国民に注意喚起を発出したとも報じられた。このために政府は民族感情が過度に高まるのを抑えることを重視したのかも知れない。
最も象徴的だったのはプラボウォ国防大臣の対応であろう。同氏は先の大統領選挙で候補者討論会に臨み、「物理的なパワーを伴わない外交は他国の侮りを受けるだけだ。国家の主権と威厳を損なう外国の行動は断固として排除する。」と声を張り上げ演壇を拳で何度も叩きながら訴えていた。そのプラボウォ氏が今回の事件では、「落ち着いて穏やかに対応する。中国も有効国だ。」と記者に素っ気なく答えていた。「インドネシアのEEZは国連海洋法条約に認められた権利であるのに対し、中国が主張する九段線はハーグ常設仲裁裁判所で国際法上の根拠が否定されている。北ナツナ海域に紛争は存在しない(中国の行為は明白な違法行為)。」という外務省の淡々とした説明がむしろ毅然とした政治家の主張のようにすら聞こえるほどだ。ナツナ島を訪問した大統領も、主権問題で一切妥協はないと断固と主張したが、同時に「中国船は領海には入っていない。EEZは自由に航行できる。」とも述べるなど、歯切れの悪さが残った。
今後の対応策についての議論でも首を傾げたくなる発言がある。中国は、問題の海域で 中国漁船が継続的に操業を行なっている実績を積み重ねて、「北ナツナ海域は中国の伝統的な漁場」という主張に説得力を持たせようとしている可能性がある。他方でナツナ海域のインドネシア漁民の多くは3トンから7トン程度の木造漁船で大波に弱くEEZに出漁できても中国の大型漁船に簡単に追い払われるという状態であるので、このままでは漁場は中国等の外国漁船が一方的に操業する場になりかねない。従って、ルフット海洋・投資調整相がジャワ島北海岸の漁民を北ナツナ海域で操業させる方策を進めていることは理解できる。しかし、同海域がインドネシア漁民の能力の低さのために自国漁業の空白状態になっているだから外国漁船が入ってくるのは仕方がない、とでも言いたげな発言を見ると、責任あるインドネシアの閣僚がわざわざ「盗人にも三分の理」という言い訳を用意して、敵に塩を送っているようにすら見えてしまう。
もっと勘ぐれば、第2期ジョコウィ政権の新漁業相が就任早々に、拿捕漁船の沈船処分を中止したり、違法漁船摘発作戦チームの任期(昨年12月)の延長をしないなどの意向を次々に表明しているために、誤ったシグナルを外国に与えた可能性を指摘する人もいる。むしろ意図的にそのシグナルを発したと評する人すらある。もっとも同大臣は、中国漁船1千隻にインドネシアEEZでのトロール操業を認める覚書を中国と交わしたためにスシ前漁業相に解任されたという曰く付きの元同省総局長を側近に再び登用しているから、あながち全く根拠の無い批判とは言い切れない。こうした状況を考えると、インドネシアの対中国関係配慮は、単に中国の経済的プレゼンスの大きさにとどまらず、中国政府がインドネシア政府の要路にいろいろな形で浸透している印象を受けるが、実際のところはどうなのだろうか。
違法操業については筆者にも小さな思い出がある。今から40年近く前になるだろうか、回遊魚のマグロを追ってきた日本漁船が事前通告を怠ってインドネシアのEEZで操業したために拿捕される事件が時々発生していた。この時には大使館は漁船と船員の釈放に奔走することになる。私も船員の支援のために北スラウェシのメナドに10日ほど出張したことがある。当時の日本は現在のインドネシアにおける中国よりもはるかに大きな存在感を持っていたと思う。しかし違法操業への対応ひとつ取り上げても、当時の日本の対応は中国よりずっと紳士的に振る舞っていたように思う。別な言い方をすると、中国のインドネシア要路への食い込み方は日本には真似しにくいところがあるのかも知れない。しかしここで「どちらが良いか、悪いか」を論じても意味のないことだろう。現実にますます中国の客観的な存在感が強まるのが避けられない状況下で、日本はどのように振る舞うべきなのかを含めて、今回の違法操業事件ではいろいろと考えさせられることが多かった。(了)
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