池田華子さん「インドネシアの丸かじり」第4回「ジャムーを丸かじり」ジャムー(jamu)と言うと、どんより濁った黄土色の液体が「きれいなんだか?」という瓶に詰められて、コップ売りされている情景が目に浮かぶ。色は、さまざまな種類の黄色や赤褐色、または濁った白。手作りジャムー入りの瓶を背負って売り歩くのは、「ヤクルトおばさん」ならぬ「ジャムーおばさん」だ。2020.03.30 01:53
城田実さんコ第51回 オムニバス法に見るジョコウィの思い。 (Vol.130 2020年2月13日号メルマガより転載 ) 多くの法律の規定が錯綜しているために、許認可手続きが煩雑化し省庁間や地方政府との調整だけでも膨大な時間を要するなど、投資や企業活動を大きく阻害している現状を一挙に打開しようと大統領がいま最も熱心に取り組んでいるのが「オムニバス法案」であろう。今年の国会では優先的な立法計画として50件の法案を決めたが、この中に4件のオムニバス法案が入った。この中で最も議論が盛り上がっている「労働市場創出に関するオムニバス法案」では、労働市場創出という大きな政策目標の下に、80件近い法律の千数百の条項が統廃合され、一つの法律に整理されることになると言われている。 ジョコウィ大統領は昨年の独立記念演説でオムニバス法の構想を打ち出していたが、大統領の思いを断固とした決意に強めた一つの契機は、中国から海外に工場の移転を計画していた33社のうち23社がベトナムに、残りの10社はその他のアセン諸国に移転したが、インドネシアには1社も来なかったという衝撃的な報告だったろうと言われている。大統領はその後の関係閣僚会議で早速この問題を取り上げ、「問題は我々の外にあるのではない。我々自身の問題なのだ。投資許可に数年もかかる我々自身が問題なのだ。」と述べて危機感を露わにした。同じ頃に世銀が発表した「ビジネス環境ランキング」でインドネシアがベトナムよりも低い73位になったことも切迫感を高めたようである。 ジョコウィ大統領は第1期政権でも矢継ぎ早に経済政策パッケージを打ち出すなど投資誘致のための規制改革に熱心に取り組んできた。しかしインドネシアより経済開発ではずっと後発と思われてきたベトナムにまで遅れを取るような事態が現実に現れ始めると、国際社会どころかアセアン域内でのインドネシアの地位すらおぼつかないという危機感が募っても不思議ではない。大統領は昨年の独立記念演説で、「世界は投資を奪い合い、市場と人材まで奪い合っている。一歩づつの進歩では不十分だ。必要なのは、昨日より良くなることではなく、他国より良くなることだ。」と訴えていた。オムニバス法という大改革と関連づけて再び演説を読み返すと、大統領の必死さが伝わってくるようだ。しかもこの膨大な法案を大統領は国会に100日間で成立させて欲しいと期待している。 しかしこのオムニバス法に対するメディアの論調は厳しい。例えばコンパス紙は、「国民のためのオムニバス法」と題する社説を掲載し、法案策定作業を限られた関係者だけで秘密裏に進めたために、「法案は規制を簡素化するのではなく、働く者の諸権利を簡素化しているに過ぎない。」という反発が出ている、と論じている。法案策定作業は昨年10月の大統領就任を機に一挙に拍車が掛かったとされるが、策定過程のみならず出来上がった法案自体も未だに(8日時点)公表されていない。他方で、法案策定の作業チームには分野別の検討部会にまで経済団体の代表が参加していた。労働組合やその他の社会層にはそうした機会を与えられていないために、法案は一部の豊かな実業家を特別扱いしているのではないかという不満が生まれている。非公式に漏れてくる断片的な情報では、経営者と労働者の間で微妙に成立している最低賃金の算定方式とか、資源開発と環境の保全の間の調整とか、現行法で曲がりなりにも出来上がっている微妙なバランスを、投資環境の整備という政策的な要請に沿って根底から作り変えているようにも見える。このため、法案に対する国民の意見を細かく聞いていたら収集がつかなくなる可能性があるので、国会審議を100日に限定して批判が盛り上がらないうちに一挙に成立させる積もりなのではないかという声すら出ている。 この過程で興味深かったのは、ルフト投資等調整相の弁論だった。彼はテレビの討論番組で、「ジョコウィ大統領は貧しい環境で育った。投資環境整備のために国民が犠牲になることを彼が許すはずはない。投資と景気回復による労働市場の拡大は喫緊の課題で、そのために国民は一つになろう。」と理解を求めていた。好意的に忖度して言えば、「インドネシアは国際社会で勝ち抜く瀬戸際にある。インドネシアを豊かにするために、大統領と政府は誠意を持って取り組んでいる。その誠意を信じて、今は個別な意見の違いを超えて国民が一致して政府を支えて欲しい。」ということであろうか。 この発言を聞いていて思い出したことがある。開発独裁と評されることの多いスハルト大統領である。彼が失脚した原因の一つとして、一族による所謂ファミリー・ビジネスが指摘されている。そのファミリー・ビジネスがまだ大きな政治問題に発展する前の時期に、スハルト大統領が次のように呟いていたとその場に居合わせた友人が教えてくれた。「私の子供たちのビジネスに苦情が出ているようだが、子供たちは独り立ちして立派にビジネスで成功した。これまで多くの人が、発展したインドネシア経済について華人ビジネスに支配されたままだと批判してきたが、ようやく生粋のインドネシア人が経済の主役として登場できるようになったのだ。しかもそれで多くの人が職を得て収入を増やしている。」 スハルト氏が政権を奪取した後も長らく外国では、「豊富な石油を売って国民が食べる米を輸入している後進国」と言われ、「国家の開発資金は全て外国からの援助」という屈辱的な評価も受けてきた。同氏にしてみれば、自らの統治によって「米の自給を達成したし、全国の村々に電気も届けた。子供たちはもう裸足ではなく皆学校に通っている。自動車ですら曲がりなりにも国産だし、飛行機すら生産できる段階になった。貧しい村の子供だった自分が、遂に国を豊かにし国民生活の充足をもたらすことに成功した。」という気持ちであったであろう。彼には、少なくとも当初はファミリー・ビジネスが何故批判されるのかも理解できなかったのではないだろうか。 時代も政治環境も全く異なる二人の指導者を並べて書くこと自体に無理があるのだろうが、オムニバス法を巡る議論の中で、つい思い出した昔話である。最近、二人の発想の根底にどことなく似たものがあるのではないかと感ずる瞬間があるからかも知れない。多分勘違いなのだろう。(了)2020.02.13 06:34
城田実さんコラム 第50回 中国漁船とEEZで緊迫 (Vol.129 2020年1月28日号メルマガより転載 ) 昨年12月に始まった中国漁船による北ナツナ海域EEZ(排他的経済水域)での違法操業は侵入と退去を繰り返していたが、今年に入って中国海警所属船舶と共に同海域にとどまり操業を継続する事態に発展した。インドネシア国軍は最終的に艦船8隻、F16戦闘機4機を投入するなど、中国艦船の違法行為を許さない強硬な姿勢を明確に示し、10日には大統領がナツナ県を訪問したのを契機に中国船舶はようやくEEZから退去した。ところがその後再び中国漁船の違法操業が再開され、北ナツナ海域での睨み合いは続いている。 中国漁船の違法操業が大きな関心を集めたのは2016年以来だが、この一連の事件で注意を引いたのは、国軍が一貫して毅然と中国公船に対峙したのに対し、中国との関係配慮を優先した関係閣僚のやや腰が引けたような対応であった。この事件はインドネシア人の民族主義感情を刺激し、ある国会議員は中国主催の国際会議を全てボイコットしろとまで主張していた。現地紙の世論調査では、「海軍等の艦船を使って中国船を追い出すべき」に賛成とする回答が9割を超えていた。中国大使館は対中国感情の悪化を理由に自国民に注意喚起を発出したとも報じられた。このために政府は民族感情が過度に高まるのを抑えることを重視したのかも知れない。 最も象徴的だったのはプラボウォ国防大臣の対応であろう。同氏は先の大統領選挙で候補者討論会に臨み、「物理的なパワーを伴わない外交は他国の侮りを受けるだけだ。国家の主権と威厳を損なう外国の行動は断固として排除する。」と声を張り上げ演壇を拳で何度も叩きながら訴えていた。そのプラボウォ氏が今回の事件では、「落ち着いて穏やかに対応する。中国も有効国だ。」と記者に素っ気なく答えていた。「インドネシアのEEZは国連海洋法条約に認められた権利であるのに対し、中国が主張する九段線はハーグ常設仲裁裁判所で国際法上の根拠が否定されている。北ナツナ海域に紛争は存在しない(中国の行為は明白な違法行為)。」という外務省の淡々とした説明がむしろ毅然とした政治家の主張のようにすら聞こえるほどだ。ナツナ島を訪問した大統領も、主権問題で一切妥協はないと断固と主張したが、同時に「中国船は領海には入っていない。EEZは自由に航行できる。」とも述べるなど、歯切れの悪さが残った。 今後の対応策についての議論でも首を傾げたくなる発言がある。中国は、問題の海域で 中国漁船が継続的に操業を行なっている実績を積み重ねて、「北ナツナ海域は中国の伝統的な漁場」という主張に説得力を持たせようとしている可能性がある。他方でナツナ海域のインドネシア漁民の多くは3トンから7トン程度の木造漁船で大波に弱くEEZに出漁できても中国の大型漁船に簡単に追い払われるという状態であるので、このままでは漁場は中国等の外国漁船が一方的に操業する場になりかねない。従って、ルフット海洋・投資調整相がジャワ島北海岸の漁民を北ナツナ海域で操業させる方策を進めていることは理解できる。しかし、同海域がインドネシア漁民の能力の低さのために自国漁業の空白状態になっているだから外国漁船が入ってくるのは仕方がない、とでも言いたげな発言を見ると、責任あるインドネシアの閣僚がわざわざ「盗人にも三分の理」という言い訳を用意して、敵に塩を送っているようにすら見えてしまう。 もっと勘ぐれば、第2期ジョコウィ政権の新漁業相が就任早々に、拿捕漁船の沈船処分を中止したり、違法漁船摘発作戦チームの任期(昨年12月)の延長をしないなどの意向を次々に表明しているために、誤ったシグナルを外国に与えた可能性を指摘する人もいる。むしろ意図的にそのシグナルを発したと評する人すらある。もっとも同大臣は、中国漁船1千隻にインドネシアEEZでのトロール操業を認める覚書を中国と交わしたためにスシ前漁業相に解任されたという曰く付きの元同省総局長を側近に再び登用しているから、あながち全く根拠の無い批判とは言い切れない。こうした状況を考えると、インドネシアの対中国関係配慮は、単に中国の経済的プレゼンスの大きさにとどまらず、中国政府がインドネシア政府の要路にいろいろな形で浸透している印象を受けるが、実際のところはどうなのだろうか。 違法操業については筆者にも小さな思い出がある。今から40年近く前になるだろうか、回遊魚のマグロを追ってきた日本漁船が事前通告を怠ってインドネシアのEEZで操業したために拿捕される事件が時々発生していた。この時には大使館は漁船と船員の釈放に奔走することになる。私も船員の支援のために北スラウェシのメナドに10日ほど出張したことがある。当時の日本は現在のインドネシアにおける中国よりもはるかに大きな存在感を持っていたと思う。しかし違法操業への対応ひとつ取り上げても、当時の日本の対応は中国よりずっと紳士的に振る舞っていたように思う。別な言い方をすると、中国のインドネシア要路への食い込み方は日本には真似しにくいところがあるのかも知れない。しかしここで「どちらが良いか、悪いか」を論じても意味のないことだろう。現実にますます中国の客観的な存在感が強まるのが避けられない状況下で、日本はどのように振る舞うべきなのかを含めて、今回の違法操業事件ではいろいろと考えさせられることが多かった。(了)2020.01.28 02:48
城田実さんコラム 第49回 過激思想防止への危惧 (Vol.125 2019年12月25日号メルマガより転載 )ティト・カルナフィアン (Tito Karnavian) 内務相 「過激思想が社会に浸透するのをどのように防ぐか」というテーマが第2期ジョコウィ政権の重要政治課題に浮上しているように見える。テレビの政治討論会でもしばしば取り上げられ政治家や専門家の間で賛否こもごもの熱い議論が交わされている。 ジョコウィ大統領は大統領再選後の最初の政策スピーチ(7月)で、20分ほどの短い挨拶の最後に演説時間の1/3ほどを使って、国民の団結と国家の一体性を訴え、国是5原則のパンチャシラを損なう動きに対しては容赦をしないと断固とした口調で決意を示していた。従って、過激思想が若者や公務員にまで広がっている現状を政府が深刻に受け止めているという認識は広く共有されていた。 その「過激思想の防止」に向ける大統領の真剣さが改めて示されたのは第2期内閣の組閣結果発表の時だろう。宗教大臣に、大統領選挙勝利に極めて大きな貢献をしたイスラム団体NUから激しい反発があるのを承知しながら敢えて異例の軍人を登用し、任命にあたって過激思想対策を特に指示したのが象徴的だった。その他にも、テロ撲滅作戦での功績をきっかけに警察長官にまで昇進したティト内務相、国際的なイスラム過激組織の国内大衆団体を非合法化する際に手腕を発揮したチャハヨ・クモロ公務員育成相(前内相)、イスラム育成会議の委員だったマハムド政治治安調整相など、一見すると過激思想対策の「閣僚シフト」と見えないこともない。 過激思想対策は関係閣僚が今後もそれぞれに講じていくものと見られるが、これまでに最も注目されている政府の具体策は、「公務員の過激思想対策」に関する11省庁合同決定であろう。これによって過激思想に染まった公務員に対する国民からの告発を受け付けるサイトがネット上に開設されることになった。どういう言動が規制の対象になり得るかは11項目で示されている。例えば、パンチャシラや国家の一体性などを嫌悪させる内容の意見やビデオなどを表明したり拡散することや、人を惑わす報道やそれを拡散させることなどで、ネット上に載った規範違反の通信に「いいね」などと賛意を表示したりリツイートする行為も含まれる。パンチャシラを「侮辱する活動」に参加することも違反行為になる。素人目に見ても、これはかなり粗雑で荒っぽい規定だ。 この合同決定については、これでは公務員が萎縮して業務に集中できないし、そもそも「過激思想とは何か」が曖昧な上に、規範違反となる11項目も多様な解釈が可能で意図的な運用や誤用を招きかねないなどと様々な懸念や批判が噴出している。普段からネット上では誹謗中傷が氾濫しているのに、混乱が更に広がると心配をする人も少なくない。 過激思想の浸透は、テロ行為に繋がる土壌を提供するだけでなく、独立以来、国家の一体性を支えてきた民族的な基本理念をも危うくしかねないので、その防止自体については基本的に国民的な意識の一致があると考えて良いだろう。しかし、スハルト政権の時代には、パンチャシラのイデオロギーの普及を国家事業として展開して国内の思想統一を図り、結果として強権的な権威主義体制を支えることになったという歴史的な教訓がある。このためもあって、今回の過激思想対策が政府批判を牽制したり、政治的な反対勢力を抑圧する手段に使われないかという危惧が根強く存在する。また、改革の時代から20年を経て、思想と表現の自由などの市民的な権利がようやく民主主義を支える基盤として社会の間に根付いてきたのに、この芽を摘むような結果にならないかと心配する声もある。 米国や欧州、そして日本など世界的に各国が内向きの傾向を強め、社会も自己中心的に他者を排除する兆しがひとつの潮流になりつつある中で、社会の多様性と人々の寛容さを国造りの大前提としてインドネシアが独立以来辿ってきた歴史も一つの試練を迎えているということなのだろうか。過去には、国民の8割以上がムスリムであるのに社会の融和と国民の結束を優先してイスラム教を国教としなかった独立の英雄たちの英知と決断があった。今、激しい選挙戦の結果、宗教や種族の違いで社会に深い亀裂が生まれたと言われるが、敬虔なムスリムの指導者たちが熱心に宗教の大切さを住民に広めながら、同時に「異なる宗教や信条を持つ人々への敬意はしっかり守ろう」と説く活動は健全だとも言う。多様性と寛容さの歴史に対するこの国の人々の高いプライドと信念にはいろいろな機会に触れることがある。世界的な潮流とは一緒にはならないというインドネシアのレジリエンスの強さも源流はここにあるような気がする。是非そうなって欲しいと願っている。(了)2020.01.01 07:45
城田実さんコラム 第48回 ジョコウィ内閣のヤジロベエ (Vol.124 2019年11月13日号メルマガより転載 ) 第2期ジョコウィ内閣の閣僚名簿を見ながら、あることないこと想像を巡らすのはなかなか面白い。数多くの評論があるので既に誰かが同じ感想を述べているかも知れないが、この内閣には沢山のヤジロベエが組み込まれていて、全体でなんとかバランスを保つような仕組みになっているではないかと想定してみると、想像力がさらに刺激される。本当はどうなのかはもとより知る由もないが、頭の体操にはなりそうだ。 組閣の最大の関心事はやはり、大統領選挙を争ったグリンドラ党との大連立はあるか、あるとしたらプラボウォ党首は入閣するか、であった。結局、プラボウォ氏が国防相として入閣したが、大統領選挙で接戦を演じた個性の強いプラボウォ氏が閣内に占める重みは非常に大きいだろう。ただプラボウォ陣営でムスリム大衆動員の中核的役割を果たしてきた急進的なイスラム団体や福祉正義党の活動家は大連立に失望してかなり離反しているようなので、現時点では彼の重力の中心は退役軍人やプラボウォ流の民族主義グループであろう。 この重力に対応できる人物としては、スハルト大統領退陣を巡る大混乱の中でプラボウォ氏と鋭く対立したウィラント大臣(当時の上司)がいたが、今は閣外に去っている。しかし、プラボウォ候補に対抗する退役将軍らをジョコウィ陣営内で組織化したルフト調整相は健在で、新内閣では投資分野にまで管轄を広げたのでその実力と大統領の信頼は更に高まっている。彼ならプラボウォ氏のヤジロベエの相手になりそうだ。 プラボウォ氏には過去の人権問題という弱点があるが、同氏の軍規違反を裁いて結果として同氏を海外逃亡に追いやった国軍将校倫理会議の副議長だった人物、ファハルル・ロジ退役大将が宗教相で入閣した。同氏は選挙中に「過去に人権問題を抱えたプラボウォ候補は大統領の資格はない」と発言したことがある。しかも同氏はルフト調整相が実質オーナー会社の監査役でもあるので、バランスはルフト側に傾いているかも知れない。 プラボウォ氏の側でロジ宗教相に対応しそうな人物を探すと、エディ海洋水産相だろう。エディ氏は、国軍士官学校を退学させられた後、プラボウォ氏と巡り合って同氏の支援で大学に進学して以来、プラボウォ氏の忠実な腹心として同氏の海外逃亡中にも付き従っていたらしい。士官学校でトラブったのもプラボウォ氏に似ている。 プラボウォ氏を巡っては与党内部も平穏ではない。大連立に対して闘争民主党を除く野党はこぞって反対したが、その中心人物はナスデム党のスルヤ党首だろう。同党は、MRTでジョコウィ・プラボウォ和解会合があった後に急速に進んだ大連立の流れに対して一貫して様々な牽制活動をしている。最近は野党連合の再建かと受け止められかねない動きまで出ていて、単なる「牽制球」が「危険球」に変わりそうな気配も見える。目標もプラボウォ氏でなく闘争民主党と大統領に向いているようだ。 同党は先の選挙で大きく躍進しているので、その動きには勢いもある。そして同党の存在感は地方で更に目立っているようで、与党内には前々から一部で疑心暗鬼が生じていた。検事総長ポストを獲得したナスデム党が、汚職疑惑その他の情報が集中する検察を通じて政治工作を行なっているとの疑いである。闘争民主党の某幹部は、複数の同党所属地方首長が汚職疑惑をちらつかされてナスデム党に移籍した例を挙げ、ナスデム党への警戒感を露わにしていると言う。 こうした事情を背景にして新内閣では、検事総長ポストをナスデム党から取り上げ、最高検察庁の民事等担当次長で引退していたブルハヌディン氏が任命された。中立のキャリア検事の登用と思われた。しかし同氏は、昨年の西ジャワ州知事選挙で闘争民主党が単独で公認したハサヌディン氏(同州の党支部長、退役少将)の実弟である。新検事総長があからさまに政治的に動くとは考えにくいが、仮にナスデム党が過去に検察を利用して政治介入したことが事実だとすると、脛に傷持つ同党にとってはこの人事は強力な牽制球になるであろう。ここにも小さなヤジロベエがある。 与党内にはその他にも、副大統領を輩出して影響力拡大に意欲的なナフダトゥール・ウラマや民族覚醒党を巡る動きなど、まだまだヤジロベエがありそうである。 第1期ジョコウィ政権の終盤あたりから目立っている治安優先の権威主義的な傾向は新内閣の顔ぶれでむしろ定着したという印象を受けている人が少なくない。デモ対策などの治安の直接責任者だったティト国警長官が内相に就任し、治安とも絡んで政府が重視する過激思想対策として宗教相には異例の軍人(退役)が登用された。 この悪い印象を薄めるためという訳でもないだろうが、政治・治安等担当調整相にマハフド元憲法裁判所長官が就任した。1978年の初代パンガベアン大将から14代目で初めて文民がこの職に就いた。同氏は公法研究で博士号を取得しイスラム大学学長などを努めた学者であるが、国防相や法相も歴任している。パプア人への人種差別で暴動が勃発した際には、メディアのインタビューで文化的で人道的なアプローチの大切さを説いていた。 彼は治安関係閣僚との関係の他に、ヤソナ法相ともヤジロベエ関係になるかも知れない。ヤソナ法相は悪評高い汚職撲滅委員会法改正を実現させた政府側の代表で、組閣を前に辞任していたが再び任命された。他方、マハフド氏は、持ち前の明快な議論で、大統領が緊急政令を発出してこの改正法を見直すよう提言し、大統領も同氏の発言には耳を傾けていたと言われる。同氏は閣僚就任後、改正法について個人的な意見は変わらないが、内閣に入った以上は大統領の決定に従うと述べている。法務省関係ではその他にも、人権や市民的権利その他で深刻な不備が指摘される刑法改正を始め多数の重要法案が待ったなしの状態なので、論客のマハフド氏の対応を含めて、このヤジロベエには注目度が高い。 大統領は、「閣僚個人のビジョンやミッションは存在しない、あるのは大統領の方針だけだ」と述べて、国政に当たる自信を示している。閣内にある多くのヤジロベエでバランスを取りながら、最後に全体は自分が責任を持って動かす覚悟なのだろう。 他方で多くの市民団体や有識者らからは、汚職撲滅委員会のノフェル捜査官が襲われて失明した事件ですら、大統領は警察長官に徹底捜査を指示したと言うのみで結局2年半の間、殆ど捜査に進展がなかった例などを挙げて、国民が期待しても多くの敵を作り出すかも知れない案件では大統領は判断を先送りしたり曖昧にしてきた、と厳しく批判している。上述のマハフド氏の発言ではないが、大統領の姿勢でヤジロベエは方向を変える。ヤジロベエがいつの間にかみんな同じ方向にしか動かなくなることのないよう期待したい。(了) 2020.01.01 07:38
城田実さんコラム 第47回 パプアの差別事件から見えるもの。 (Vol.117 2019年9月16日号メルマガより転載 ) パプア出身の学生に対する差別事件に端を発する抗議運動は、政府系事務所の破壊と放火に加えて治安当局と市民の双方に死者を出す暴動にまで発展し、一部ではパプアの将来に関する住民投票を主張する運動も広がった。この一連の騒動に対する政府の対応には首を傾げたくなるものが少なくないが、「国際イスラムテロ組織のISIS(イスラム国)が騒動に便乗して政府を共通の敵にしようと画策している」という国防大臣発言(9月5日)には耳を疑った人が多かっただろう。 この大臣は、パプア在住者の85%がキリスト教徒で、10数%のイスラム教徒の多くも域外からの来訪ないし移住者なのでパプア人は実際にはほとんどキリスト教であるという事実を百も承知のはずであるから、この発言は、パプアの抗議行動の評判を落とすことを狙った、為にする議論と言われても仕方がない。パプアが抱える非常に複雑な問題を相変わらず治安対策としか捉えない発言が、改革の時代が定着した今になっても、軍人出身とは言え政権の主要閣僚から出たことに驚かされる。 一連の騒動の発端となった事件は、東ジャワ州スラバヤ市にあるパプア出身学生寮の敷地内でインドネシア国旗が毀損されて捨てられていたという噂を理由に押しかけたグループに軍人が加わって寮を取り囲み、数時間にわたって聞くに耐えない人種差別的な罵声を寮の学生に浴びせ続けた上に、警察が寮に踏み込んで学生を逮捕したという事件(8月16日)であった。しかも、国旗毀損の噂は後に警察でも事実無根と否定されている。(前日には同州マラン市でパプア出身学生が市長舎に向けてデモ行進中に青年グループらと衝突する事件があり、この時には副市長が「騒動に加担する学生はパプアに帰ったら良い」と発言したと報じられた)。 この事件はパプア人社会ではネットなどで一挙に広がった。しかし政府がスラバヤでの事件を人種差別として問題視したのは事件から3日も経った後だった。(スラバヤ市長が最初に人種差別を陳謝したのは8月19日) それもパプア州に暴動が広がった後であった。暴動が起きていなければ、政府は見て見ぬ振りをした可能性すら考えられる。政府の対応の鈍さは否定できない。暴動発生後も治安当局は、東部ジャワの事件に偽情報の尾ひれをつけて拡散した犯人の追求にばかり熱心で、肝心の「差別事件」の解明がなおざりにされているという不満と批判がパプア社会では広がった。パプア社会にしてみたら、被害者と加害者が逆になっているという思いであろう。 その後も当局の対応には疑問が多い。8月30日には、大統領宮殿前のデモ(8月28日)でパプア独立旗(「明けの明星」旗)を掲げたパプア出身学生ら10名が「政府転覆罪」の容疑で逮捕された。ワヒド大統領(当時)は、「明けの明星」旗をパプアの地域旗として掲揚を認めると約束したことがある。パプアの地域感情を考慮すれば、有無を言わせずに一挙に「政府転覆罪」では、いかにも威嚇的で抑圧的に見える。9月3日には、外国人のパプア地域への立ち入りを制限するとウィラント政治治安調整相が発表した。外国人旅行者と騒動の扇動者との区別を容易にするためと説明されているが、治安維持最優先だったスハルト時代へ逆戻りの印象を与えかねない。4日には、パプア住民の立場からスラバヤでの事件を国際的に発信した弁護士を「民族間の憎悪を拡散した」容疑者に認定した。 こうした政府の対応を見ていると、インドネシアにとってパプア地域は未だにかってのアチェや東チモールと同じように、治安優先の監視地域であり、そこに住むパプア人も監視対象の住民に過ぎないのだろうかと錯覚しそうである。文民大統領に率いられた政府だが、治安対策になると歴史や文化的な考慮を含めた総合的な政治判断あるいは人間的な視点が未だに入り込めないのであろうか。旧宗主国オランダとの抗争のために遅れてインドネシア共和国の一員になったパプアが、出遅れた地域開発と人種的な偏見、人権侵害の長くて苦しい道を辿ってきた歴史を考えると、事件に対する政府の対応にはパプアに対する同胞意識が乏しくないかという指摘が付いて回っている。 東ティモールが27番目の州としてインドネシアに統合された後、現地を訪問したことが3度ある(3度目は独立後) 。国連を含む国際社会では東ティモール問題が常に非難の対象にされ、日本も二国間首脳会談では議題にしていた。しかしインドネシアでは政府が、州内を一周して全県を結ぶアスファルト道路を完成させ、水利を整備して田圃を増やし農業指導員も配置したし、義務教育の学校を整備した上にジャワ島への「国内留学」制度まで作った。陸の孤島と言われたベンクルー州選出の国会議員が「独立以来の我が州が何故新参の東ティモール州に予算配分で負けるのだ」と憤慨するほどだった。ジャカルタで国家行事がある時には東ティモールの民族衣装が注目された(このように書くと、何やら今のジョコウィ政権のパプアのような感じがしないでもない)。 スハルト大統領は、ポルトガル植民地時代とは比べものにならない充実した住民福祉と快適な生活を東ティモールで実現する自信を持っていたのだと思う。その実現に使命感と誇りすら持っていたと思う。そのために東ティモール人に求められたのはただ一つ、インドネシアへの統合(プロセス)を批判したくなる民族的なプライドを捨てることだったのだろう。その頃、知り合いが東ティモール州代表の国会議員としてジャカルタに赴任し、議員宿舎に入居した。「大都会」暮らしはさすがに嬉しそうだったが、気のせいか屈託もあるようにも感じられた。紆余曲折を経て東ティモールが独立した後、彼は祖国に戻ってメディアの世界に進んだ。あの時に国会議員になったことについて、独立後に彼の心情を聞いてみたい誘惑に駆られたこともあるが、実際には質問する勇気が出なかった。 今、パプア出身学生への人種差別事件で、「種族間の融和」や「多様性の中の統一」について活発な議論が行われている。この国が取り組んでいる民族的な課題の根の深さはインドネシア人自身が身に染みて感じているのだろう。他方で、ある外国プレスが昨年、パプアで多くの子供が栄養失調に陥っている現状を取材した際、現地の諜報機関に取り調べを受けて域外に退去させられたと報じられた。その前には、英国大使がパプア訪問中に雇った12台の車の運転手が全員パプア人でなかった、と発言したことで多くの抗議を受けたと言われる。パプアをショーケースのように飾って「多様性の中の統一」をアピールする意識が残っているようだと実質のある進歩はなかなか難しいような気がする。(了)2020.01.01 07:29
生島尚美さんエッセイ / 新・バリ一代ドタバタ記 (メルマガvol. 93 2019年3月5日号より転載)第16回 とんでもなかった、当日。Plagaよ、走れ!と叫びまくりですわ。2019.09.07 00:46
城田実さんコラム 第46回 今なぜ国策大綱を復活させたいのか? (Vol.114 2019年8月27日号メルマガより転載 ) 「GBHN」と聞いて直ぐにピンと来る人はかなりインドネシア経験が長い方かも知れない。日本語では「国策大綱」と訳されている。インドネシアの歴史に「開発の時代」を始めてもたらしたスハルト政権は開発独裁と呼ばれたが、スハルト大統領は決して独裁者ではなく民主的な指導者なのだという主張のカギはこの「国策大綱」にあったと言えよう。スハルト時代でも憲法は主権が国民に存すると定めているから、ポイントは国民の意志で政治が動いていたかどうかということになる。国家の最高機関である国民協議会が、主権者である国民の意を体して、大統領が任期中に果たすべき国政の基本指針として策定したのがスハルト体制下の「国策大綱」であった。任期の終了時には、大統領の任免権を持つ国民協議会が、大統領が国策大綱に従ってきちっと国政を遂行したかどうかを審査する。従って、大統領は、間接的にではあるが、主権者である国民の負託に応えて国政を行ったという理屈になる。しかしスハルト政治の実態がその通りに民主的であったかどうかは歴史が示す通りである。国策大綱もスハルト政権の崩壊後に憲法から削除された。 その「GBHN」を復活させる動きが急速に高まっている。往年の人気俳優がすっかり老いたのに突然芸能界復帰を表明したかのような錯覚にとらわれた人も少なくないに違いない。しかしその火付け役が、ジョコウィ大統領の出身政党であり国会の最大会派である闘争民主党となれば話は別である。政界には大きな波紋が広がっている。闘争民主党は今月の党大会で、憲法を改正して国民協議会を再び国家の最高機関と位置づけ、同協議会に国策大綱を策定する権限を付与すると正式に提案する決議を行なった。しかしスハルト体制から民主化の時代に変わって既に20年が経過し、新しい制度も定着したこの時期に、何故憲法を改正してまで国策大綱を復活するのだろうか。 闘争民主党の幹事長は、国家開発の基本が内閣の交代のたびに変わることのないよう継続性のある基本方針(つまり国策大綱)を策定する必要がある、と説明している。しかし、現在の国家開発計画は20年長期及び5年中期の各計画を受けて毎年の計画を策定しているので、国策大綱の緊急性は必ずしも感じられない。むしろ国民協議会を国家の最高機関として復帰させると、大統領の選出も国民協議会で行うようになるのではないか、という疑心も生ずるなど議論が混乱している。 闘争民主党による憲法改正提案の本当の意図は別にところにあるという見方がある。ジョコウィ大統領は再選確定後、これが自分の最後の任期になる(3選は禁止)ので、政治的な負担はもうないと述べて、今後は大統領としての指導性をよりはっきり打ち出すと受け止められる発言を繰り返している。これに対して、闘争民主党(即ちメガワティ党首)はこれまでジョコウィ大統領を党の指揮下に置くことに腐心してきた。ジョコウィ氏が大統領に初当選した際には、メガワティ党首が「大統領といえども単なる一党員」と公然と発言して、大統領の資格で出席した党の全国集会でもジョコウィ氏に挨拶の機会を与えなかったことがある。その後、国政にも慣れ、独自の政治基盤も持つようになった現在のジョコウィ大統領に対して闘争民主党が依然として、党の支配から自由にはさせない、あくまでも親離れをさせないと繰り出した一手が今回の憲法改正提案だった、という解釈である。国民協議会が大統領より上位の国家機関になり、そこで決議された国策大綱が国政の指針になれば、行政府の長としての大統領の裁量は大きな制約を受ける可能性がある。国策大綱は表現が一般的、抽象的で解釈が多義になる可能性があるので、国民協議会での政党構図によっては大統領の施策が国策大綱違反と批判される可能性も広がるからである。もしこの見方が正しいとすると、党(あるいは政治エリート)の小さな利害関係によって憲法改正という国家的な判断が行われることになる。 闘争民主党の主張はこれにとどまらない。プラボウォ氏のグリンドラ党が与党に合流するか、国民協議会の議長団にどの政党が選ばれるか、を巡って政局は大きく動いているが、闘争民主党は憲法改正に賛成するか否かが国民協議会議長団を選出する判断材料になるとも主張している。この主張を受けてグリンドラ党と国民信託党(何れも先の選挙では野党)は早速に憲法改正支持を表明、反対に与党のゴルカル党やナスデム党の幹部からは慎重な意見が多く出ている。ジョコウィ氏の大統領就任を前にして、大統領選挙で築かれた与野党の基本的な境界自体が曖昧になりかねないと心配する専門家もある。 ジョコウィ大統領は独立記念日の国政演説で、「世界は今、厳しい競争の中にある。我々は昨日より進歩した今日に満足してはならない。他国より進歩することが重要だ。そのためには一歩一歩の前進ではなく、『飛躍』に向けた国民一致の覚悟が必要だ。」と訴えた。「GBHN」の議論と駆け引きを見ていると、「国民一致の覚悟」どころか、国会議席6割を確保したはずの与党の結束まで揺るがないかと心配になってくる。(了)2019.08.27 00:32
城田実さんコラム 第45回 社会の変容とパンチャシラ(Vol.109 2019年7月23日号メルマガより転載 ) コンパス紙の世論調査によると、今年の大統領選挙は「前回よりもみにくい選挙戦だった」と答えた人が6割、選挙後に最も緊急に取り組むべき課題として8割以上の人が「選挙で分断された社会の修復」を挙げたそうである。ジャカルタ知事選挙の最中には、アホック候補を支持した人の葬儀が、反アホックの住民が圧倒的に多いモスクで拒否されたことがあった。冠婚葬祭を大事にするこの国では驚くばかりの出来事だったが、選挙の傷跡はいまどのような状態になっているのだろうか。 インドネシアでは、コミュニティーは融和が第一、対人関係でも決して物事をあらげないことが最大の美徳だと教えられた。個人的な限られた経験ではあるが、実際に周りのインドネシア人が隣近所との付き合いを大事にしながら暮らしている様子を見てきたのを思い出すと、今年の大統領選挙の最大の被害者は一人ひとりの国民自身だったと思われてならない。この事態を招いたのは、政治エリートと称される人々が、選挙という当面の目的のために、人々の潜在的な不満や不安感をわざわざ引っ掻き出して、これに火を付けたのが大きな原因だったように思う。ふつうの人々にしてみれば、もうそろそろ昔からの落ち着いた雰囲気を取り戻したいが、そのために今度は火を付けた政治エリートがきちっとイニシアチブを取ってほしいというのが冒頭の世論調査結果なのだろう。 ところが当の政治エリートや政党の関心の中心はもはやそこにはなく、第2期ジョコウィ政権の発足に備えて、どのようにして政治的に有利なポジションを占めることができるか、新政権でどのポストを獲得できるか、に移ってしまっている。社会に生まれた緊張を緩和する道を開くためには、できるだけ早い段階でジョコウィ氏とプラボウォ氏の二人が握手して和解の姿を国民に示すことが大事な第一歩だとみんなが声を上げているのに、その握手の段取りをつける過程が再び政治の駆け引きの材料になってしまった。ふたりが会ったのは、4月17日の投票日(同日中に選挙結果が事実上判明)からすでに3カ月も経過してからだった。 当日の朝になって突然、開通したばかりのMRT鉄道の駅で朝10時に会合すると発表されたが、その意外さの演出効果は抜群だった。ある評論家はジョコウィ氏には知恵者がそろっていると感心していた。もっともプラボウォ陣営にとってはトップの決断で一気呵成(いっきかせい)に実行しないと実現できない事情もあったのかもしれない。陣営幹部の一部からは「相談どころか、聞いてすらいない」と反発が噴出し、ネット上では支持者から「裏切り者」「失望だ」といった厳しい書き込みも多かったと言う。この陣営の複雑さを垣間見たようでもある。 テレビ中継などを見ていると、二人が握手し抱き合う場面では周囲から大きな歓声や拍手が上がっていた。多くの国民もこの光景を素朴に歓迎したのではないだろうか。この光景は選挙後の一つの大きな峠ではあったが、先行きにはまだ越えるべき峠がいくつか続いている。 そんな中でテレビの政治談義を見ていたら、司会者が(国是5原則の)パンチャシラという言葉を使うと、それだけでもう、まともには話を聞いてもらえない人たちが増えてきた、と切り出すと、対談相手の人気の州知事(政府系)も我が意を得たりとばかりに、パンチャシラという言葉をあえて使わずにコミュニティーの融和の大切さや楽しさをさとすようにしていると話していた。民族の多様性を前提にした国造りの象徴であるパンチャシラに対する問題提起は前から存在はしていたが、選挙をめぐるゴタゴタがようやく収まりかけてふと周りを見回してみると、パンチャシラはもはや国民全員が当然に共有できる国家の出発点ではないと考える社会層が根を張る時代になっていたのかも知れない、と少しあ然とする思いだった。 ジョコウィ大統領はプラボウォ氏と会った翌日の夜、再選確定後初めての政策スピーチを発表した。大統領は演説の最後に、全体の演説時間の3分の1ほどを使って、国家の一体性と国民の団結を訴えた。大統領は、政府批判と野党の存在を尊重すると述べる一方で、パンチャシラと民族の多様性を害する行動に対しては一片の妥協も容赦もないと声を張り上げた。 プラボウォ陣営との和解協議の過程で、イスラム擁護戦線(FPI)のリジック・シハブ代表の「亡命先」とされるエジプトからの帰国が和解の大きな条件になったことも念頭にあったかもしれない。FPIは、一昨年に反パンチャシラ団体として解散させられたヒズブット・タフリル・インドネシア(HTI)の次の標的と言われているが、他方で全国の主要大学などではHTIやFPIに共鳴しやすい強硬なイスラム保守勢力が学生活動の主流になりつつあるという調査報告もある。大統領周辺にはパンチャシラに基づく国家の安定を強権的に維持しようという考えの人物も少なくないようなので、パンチャシラをめぐる見方の違いで力による対決姿勢が強く前面に出てしまうと、あまりパンチャシラ的ではないと心配する人も出始めているようだ。(了)2019.07.23 00:35
城田実さんコラム 第44回 暴動と国軍、政治の関係 (Vol.105 2019年6月17日号メルマガより転載 ) 大統領選挙結果の発表を契機にして発生した暴動は、いくつもの波紋と様々な憶測を生んでいる。波紋の一つは、選挙結果への抗議デモを意図的に暴動に発展させ、その混乱の中でデモ参加者を計画的に射殺した上で、これを警察の仕業に仕立てて政府を追求する大規模な騒乱状態を作り上げようとする計画が摘発されたというものだった。ティト警察長官は、容疑者から押収した小銃を記者会見で示しながら、容疑者の供述や関係者の証言および物証が揃っていると立件に自信を示した。 ティト長官の記者会見を聞いて、かつてスハルト政権の崩壊やスカルノ大統領の失脚の契機となった大規模デモが、デモ参加者に死者が出たことで騒乱状態、さらには政変への大きなエネルギーが生まれる一つのきっかけになったことを思い出した人も多いに違いない。治安当局としては、平穏に慣れた国民に「今回の暴動は単なる騒動とは違う」と危機意識を与える意味があったのかもしれないし、他方でプラボウォ支持者には、治安当局による政治的な目的を持った意図的な誘導説明だと受け止められたかもしれない。 この波紋にもう一つの波紋が加わって、一つの憶測が生まれている。もう一つの波紋とは、元陸軍特殊部隊(コパスス)隊長のスナルコ退役少将が政府転覆の容疑で、また元戦略予備軍参謀長のキフラン・ゼン退役少将が銃器不法所持の容疑でそれぞれ逮捕されたことである。両氏ともスハルト政権下では国家の根幹を支えてきた陸軍の中でも選りすぐりのエリート軍人であった。スナルコ氏は、最近まで紛争地域だったアチェから武器を取り寄せたが暴動発生前にジャカルタの空港で摘発されたと報じられている。ゼン氏は政府高官暗殺の陰謀をくわだてた疑いを受けている。 一つの憶測とは、スハルト体制の崩壊によって国軍は国防任務に専従することになったが、果たして民主的な組織として本当に定着しているのか、文民のジョコウィ大統領は軍の最高司令官として軍を充分掌握できているのだろうか、という問いである。日常の市民生活の中では実力組織としての軍の存在がほとんど感じられなくなってからすでに20年近くが経過し、そういった問い掛け自体が場違いに感じられるような雰囲気が一般的になっているが、軍が国防以外の目的で武器を取ることがあるかも知れないという、世界の一部の国々では当たり前の可能性を突然思い出させるような事件だった。 その憶測に現実味を与えたのは、大統領が有力な退役軍人数人を宮殿に招いて会合したことだった。招かれたのは、陸軍、海軍および空軍の各退役軍人会会長3人の退役将軍に加えて、陸軍の伝説的な先輩であるウィスモヨ元陸軍参謀長とシントン・パンジャイタン元コパスス隊長の2人。在郷軍人会会長のアビン退役中将とスタルト元国軍司令官も出席した。政府側からはウィラント政治調整相とムルドコ大統領首席補佐官(2人とも国軍司令官経験者)が出席した。会合の内容は明らかでないが、ムルドコ氏は、会合が2人の退役将軍逮捕との関連で持たれたことを認め、「この逮捕について退役軍人の中には政府に対して誤った理解があるので、国軍と退役軍人社会でのオピニオン形成に影響力がある諸先輩に、そうした誤った理解を是正してもらい、政府との橋渡しの役割を果たすことを期待している」と発言している。 「誤解」とは一体なんだろうか。仮になんらかの誤解があるとして、退役軍人の誤解を是正するのに、80歳近い軍の長老まで引っ張り出すほどに深刻な必要性があるのだろうか。あるいはプラボウォ氏を退役軍人のシンパから切り離す政略なのだろうか。ジョコウィ政権の重要閣僚であるリャミザード国防相ですら、当初は警察の捜査に勇み足があったかのように述べて容疑者2人を弁護していたので、この事件はプラボウォ支持者だけでなく両陣営の垣根を超えて、広く軍人全体に「誤解を与えかねない」インパクトを持っていた可能性がうかがわれる。それにしても事件の深刻さは別として、容疑事実それ自体は刑事事件として客観的に立件できさえすれば誤解の生じようのない案件のようにも思えるのに、ジョコウィ大統領にはいつもの主張と違って「粛々と法手続きに任せる」ことができないでいるように見える。 ある軍事評論家は、今回の大統領と退役軍人の会合について、子どものけんかに先生に来てもらって、やっとけんかを抑え込むようなものだと評している。文民政府は20年の改革時代を経た今もなお、軍に急所を握られており、ジョコウィ大統領は退役軍人に助力を頼まざるを得ない問題を依然として抱えているという現実を改めて思い知らされている、という分析である。改革の時代に入ってからすでに幾度も大統領選挙や議会選挙、加えて地方首長選挙が平穏理に繰り返し行われ、投票にも物理的な強制や干渉はまったくなくなった。国会の審議や国民の日常的な政治活動でも軍の介入はもはや存在しないように見える。しかしこの国の政治には、国軍の圧力が目に見えない重力のように隠然と存在しているのだろうか。 先の軍事評論家は、退役将軍は内部で、あるいは政治面で争うことはあっても、シビリアンからの介入に対しては軍の威厳の維持を最優先して強い一体性を示すので、今回の事件も全容の解明を国民に示すことはできずに曖昧のまま終わるのではないかと予想している。もしそうだとするとインドネシアの政治は、その中にブラックホールのような存在を想定しておかないと正しく理解できない世界ということになりそうである。メディアや識者が事件直後から執拗に、情報の公開と透明性を訴えているのが理解できるような気がする。(了)2019.06.17 00:29
城田実さんコラム 第43回 ジョコウィを後押しするものは何か? (Vo.102 2019年5月21日号メルマガより転載 ) 大統領選挙の開票作業は5月15日時点で全国34州のうち26州で集計が完了したと報じられた。最終的な選挙結果の発表が早まる可能性も出ているらしい。しかしプラボウォ陣営が選挙プロセスの不正を理由に開票結果を拒否する姿勢を強めているので、選挙をめぐる緊張はまだ続きそうな気配である。そんな中、政界では早くも組閣あるいは改造に向けた各党の動きやそれに伴うさまざまな憶測が盛んになっている。 そうした動きが顕在化した直接的なきっかけは、プラボウォ陣営に属する2政党の代表がジョコウィ大統領と会談したことと、汚職事件で取り調べを受けている閣僚3人が容疑者とされる公算が高まっていることだろう。 選挙速報がジョコウィ候補の事実上の勝利を報じてから間もない4月末から5月初めにかけて、国民信託党と民主党の代表が別個に大統領と会談した。第1期ジョコウィ政権でも両党は野党の立場を貫いていないので、この動きは事前にある程度予想されていた。2党の合流で与党の数が増えれば、ジョコウィ氏とともに選挙を戦ってきた政党にとっては次期政権での入閣など人事上の論功行賞にも影響するだけに、政界全体の動きが一挙に慌ただしくなった。他方、汚職疑惑の3人はエンガルティアスト商業相(ナスデム党)、ルクマン宗教相(開発統一党)、イマム青年・スポーツ相(民族覚醒党)で、それぞれ別の汚職事件への関与が強く疑われている。容疑者になれば更迭は避けられないとみられている。大統領周辺からは「断食明け正月後」に改造という発言も出ている。改造が現実になれば、10月の大統領任命式後の組閣人事とも連動すると思われるので注目されている。 新内閣の人事が注目される理由はもう一つあるように思われる。ジョコウィ大統領は国家開発計画協議会を招集した席で、「今後の5年間は、私には政治的な負担はもうない。再び大統領選挙に出馬することもないので、国家にとって最も良いことを実行する」と発言したと伝えられる。大統領の意欲が伝わる発言だが、ジョコウィ氏が「政治的な負担」のためにやりたくともできなかったこととは何なのか。メディアや識者の間では色々な議論を生んでいるようである。 大統領の最初で最大の仕事は組閣だから、5年前のジョコウィ氏の宿願でもあったはずの、政党の圧力を受けずに能力重視で清廉な内閣を今度こそ実現したいということだろう、と期待を膨らませる意見もある。大統領諮問委員のシャフィー・マアリフ元ムハマディア(イスラム団体)会長は、ジョコウィ大統領に対して、自立して組閣し、プロの専門家集団を作るよう助言したと言われる。政党出身の閣僚が政党の利権と癒着のための最前線のようになっている現実は、いみじくも先の3閣僚の疑惑がまざまざと現している。しかもこの疑惑は閣僚の不正が国会議員の腐敗に連結していることまで国民に印象付けている。こうした閣僚が政策の正しさと実効性を大きく損なっているのは言うまでもない。 大統領の組閣準備は新たな閣僚級ポストの創設も含めて着々と進んでいるようである。ジョコウィ氏を支えた政党側は、政党推薦の人材には閣僚が所掌する分野の専門的なプロも十分に存在するという議論を盛んに行って、国民の政党不信を和らげようと必死である。大統領も、閣僚の資格をプロフェッショナルか政党人かの二分法で判断するのは適当でない、と述べていると伝えられる。大統領としては、政党の意向に配慮しつつも、デジタル革新や第4次産業革命の時代に相応しい人材をミレニアム世代からも大胆に登用する意向で、政党の党利党略には振り回されないという自信が発言に現れたのかもしれない。しかし、大統領選挙で公認政党の組織的運動が勝利に貢献した事実や、政党党首でないジョコウィ氏の政治的な弱点などを踏まえると、大統領がどこまで実際に政治力を発揮して目指す人事を行えるかは楽観できない。 「政治的な負担でできなかったこと」で話題になったもう一つのテーマは「過去の重大な人権侵害」への取り組みだ。内閣や政府高官にその当事者や利害関係者が今も存在するので、文字通り政治的な負担そのものだからだ。むしろジョコウィ政権下で発生した新たな人権侵害に対しても大統領は無力だったという見方すら出ているので、大統領にとっては人権問題を含めて軍・警察が関係する問題は微妙である。 そもそも「次の大統領選挙への出馬なし」は、果たして政治負担の軽減そして政治的なフリーハンドの拡大につながるのだろうか。ジョコウィ氏の魅力で今年の選挙を有利に戦うという政治的な利用価値を政党側も認めていたからこそ、これまで大統領は政治的な指導力を発揮できたという解釈もできる。政治的な負担のないジョコウィ大統領にはむしろ厳しいシナリオが出てくる可能性もなくはないだろう。第2期のユドノヨ大統領は第2党以下を大きく引き離した民主党に支えられ、しかもオーナー党首だったのに、与党だったはずの他党のわがままに何度か苦渋をなめさせられた。ジョコウィ氏が出身母体の闘争民主党から単なる一党員と呼ばれる扱いを長い間受けていたのも記憶に新しい。 第2期ジョコウィ政権はどのような政治環境の中を進むのであろうか。部外者の素人論議になってしまうが、やはり前回大統領選挙時の湧き上がるような国民的な支援をもう一度取り戻してほしいという国民の期待は今も大きいと思う。自前の政党基盤を持たないジョコウィ大統領にとっては、2024年に各党が応援を頼みたくなるような国民的な支持が生まれれば、「国家に最も良いこと」を実現するのに必要な政治力も発揮できそうな気がする。ここまで書いてくるとその続きには、自民党をぶっ壊すと叫んだ小泉総理のイメージがつい浮かんできてしまう。やはりインドネシア流の政治の流れをじっくり拝見して、余計なことは考えないようにした方が良さそうだ。(了)2019.05.21 00:26
城田実さんコラム 第42回 5年後の世代交代にスコープ (Vol.99 2019年4月22日号メルマガより転載 ) 大統領選挙は大方の予想通りジョコウィ候補が再選を果たすことが確実になったようだ。現職の続投となったので安心感はある。インフラ整備と規制緩和の推進でインドネシア経済を強化してきた政府の基本政策が第2段階に入り、選挙戦でも指摘された政策の是正や新たな国際環境への対応などの課題に取り組みながらジョコウィ政権10年のミッション完遂に向かうことになる。 今年の大統領選挙は、同じ候補の争いだった前回と比べても非常に激しい戦いだったと多くの関係者が述べている。議会議員選挙との同日選挙だったことや、選挙期間が約7カ月という長期戦だったという事情もあったかもしれない。にせ情報や非難中傷が異常に氾濫したことも激しさを印象付けた。そのあおりを食ったかのように、主要メディアでは国会議員選挙への注目が拍子抜けするほど小さかった。前回選挙では、ジョコウィ新政権が少数与党として発足したために政府と議会の関係が政権発足時の最大関心事だったことを考えると、やや意外でもあった。 国会議員選挙では大統領候補との密接な関係を有権者に印象付けた政党による得票の増加が注目され、主要4政党では闘争民主党とグリンドラ党が得票を伸ばした。国会議員選挙が先に行われ、その結果が判明した後に大統領選挙が行われていた前回選挙と比べて、同日選挙の影響で大統領候補との関係が政党の得票率に影響したと言われている。 このため大統領候補の擁立に当たって主導権を握れなかった中小政党には不満が残った可能性がある。国会議員の20%以上を有する支持政党(または政党連合)の公認を受けるなどの候補条件を緩和すれば、中小政党でも候補擁立が容易になる。大統領候補あるいは副大統領候補を擁立できるか否かで政党の得票率に実質的な影響があるとすると、中小政党の主張にも理があるようにもみえる。 大統領候補が2回続けて全く同じ組み合わせになり、第3の候補も出ないということに違和感を感じた有権者も少なくなかった。「国会議員20%の縛り」がなければ、有権者にとってももっと広い選択肢が用意されたはずだという意見もある。この縛りは候補者の多様性や大統領候補と副大統領候補の組み合わせの可能性をいちじるしく狭めているという議論もある。今後、法改正の議論が出てくる可能性があり、その結果次第では5年後を見据えた政局全体へ影響が広がることも考えられる。 5年後までスコープを広げると政党の世代交代という大きな変動も視野に入る。現在国会に議席を持っている10政党のうち、イスラム系政党に区分される4政党を除いた、いわゆる世俗政党6政党の中で、ゴルカル党以外は結党時の党首がそのまま「オーナー党首」のような存在になっている(民主党は厳密には異なるが、事実上同じカテゴリー)。 改めて党首名と年齢を列挙すれば、闘争民主党メガワティ氏(5年後の総選挙時点で77歳)、グリンドラ党プラボウォ氏(同73歳)、民主党ユドヨノ氏(74歳)、ナスデム党パロ氏(73歳)、ハヌラ党ウィラント氏(77歳)となる。インドネシアの平均寿命71歳を勘案すると、各党とも今後の5年間は政党の存続をも含めた非常に重要な時期に入る。独裁的なオーナー社長が退任するようなものかもしれない。ジョコウィ大統領の再続投は法規上あり得ないので、政党内での世代交代が政局全体に与える影響も大きいであろう。 今回の選挙では大統領候補の存在の大きさが各政党に認識されたが、直接選挙で選ばれた過去2人の大統領、ユドヨノ氏とジョコウィ氏の例から、大統領候補者としては個人的な魅力が不可欠という認識も広く共有されている。政党党首は将来の大統領候補という期待が(上記の法改正が実現して)広がれば、政党内の世代交代プロセスに「国民の直接の評価に耐えうる人物」という要素が強く認識されるようになるであろう。 強引な政治力(と資金力)でゴルカル党首に就任したノファント氏が汚職で失脚した結果、大統領選で常に中心的な役割を果たしてきたゴルカル党が早々に正副大統領候補の擁立を断念した今回の例もある。世代交代ということで国民が期待するのは、汚職や癒着といった古い政治スタイルから脱却し、国民の新しいニーズに迅速に対応できる能力である、といくつかの調査機関の専門家は指摘している。国民の期待が新しい世代交代を後押しすることになるだろうか。 政党指導者の世代交代という観点では、残念な事件が選挙戦終盤に起きた。開発統一党のロミ党首が汚職容疑で逮捕された。ロミ党首は45歳で、現職の政党党首の中の最年少であった。政治討論会などでも明晰な論理展開で存在感を示すなど、期待される若手政治家の一人だったと言われる。本格的な世代交代に入ろうとする政党にとって、ロミ党首逮捕劇が時期的にも格好な他山の石となれば、ジョコウィ政権の第2期はスハルト政権崩壊後の「改革の時代」が新しい地平を開く時代になるような気もする。 あるいは世代交代後もやはり「懲りない面々」が登場して旧態依然の状態が続くのだろうか。2013年からだけでも汚職で逮捕された政党党首がなんと4人、今回で5人目だと言われると、その懸念が現実化しそうな心配もある。インドネシアの近隣地域でも大きく発展する国が増える中で、インドネシアはもう同じ間違いを繰り返している暇はないと多くのインドネシア人が語っている。日本から偉そうに発言できる立場には全くないが、インドネシアにはもっとダイナミックに発展する国になることを期待したい。(了)2019.04.22 01:51